墳丘の残りの良い美形の方墳


 私市丸山古墳の出土品が展示されている綾部市資料館に寄った後、聖塚古墳、菖蒲塚古墳を訪ねてみました。女性スタッフに「古墳まで歩きたいのですが」というと「えーっ」と驚かれましたが、詳細地図をコピーして現地までのルートを教えて頂きました。資料館が丘の上にあるからでしょうか。時々木々の間から覗く田んぼの緑が美しく、快適な道のりでした。おまけに坂を下った川沿いにある巨木(動画の冒頭)が見事で、しばし見とれてしまいました。やはり古墳めぐりは徒歩がおすすめです。
 目指す古墳はすぐに見つかりました。運よく、草刈りが終わったばかりで、その姿が、周濠とともに目の前にあらわれました。記憶を辿ってみると奈良県五條市には、五條猫塚古墳、つじの山古墳等の大型方墳がありこのブログでも紹介しましたが、中期に造られた方墳で、これほどの規模のものははじめてのような気がします。調べてみると1983年に周辺一帯の圃場整備のために発掘調査を行い、正確な規模や造出し(墳丘南側)、埴輪の存在が確認されたそうです。このように、葺石、埴輪、造出し、周濠といった要素は畿内の大型前方後円墳にみられるもので、墳形は方墳ですが、畿内の影響を強く受けた由良川流域でははじめての古墳だそうです(田園に今も並ぶ夫婦塚、京都新聞、2018年12月5日)。
 方墳といえば古墳時代後期にその巨大な姿で知られる蘇我系の墳墓を思い出しますが、それ以前、それも弥生墳丘墓の時代から作り続かれてきたようです。ランクでいえばヤマト王権との強いつながりを示すといわれる前方後円墳(前方後方墳)、円墳の次に位置したようですが、それぞれに墳形の大きさが大きいほどランクは高いとみられてきましたから、今回の一辺55mもある聖塚古墳の被葬者は相当権力のある人物だったと想像できます。100m北方に築かれた菖蒲塚古墳も一辺35mを越えることを考えると、5C前半、この地周辺を強力に支配していた一族がいたということになります。そのことは明治24年(1891)の発掘調査で墳頂の埋葬施設(竪穴式石室)からは銅鏡、ガラス玉等玉類、甲冑や刀剣等の武器、武具類が出土していることからも明らかです。  
 この二つの大型方墳が築かれた丹波地域(由良川流域)ですが、突如出現します。それ以前はほとんど古墳はみられず、5C半ばに径70mの巨大円墳、私市円山古墳が築かれ、その後は長さ50mほどの前方後円墳が6C半ばまで数基築かれているだけです(全国古墳編年集成、雄山閣、1995)。いかに聖塚古墳が突出しているかがわかります。嬉しいことに圃場整備は行われず、古墳周辺は昔のままの水田の姿が残ることになったそうです。動画の最後がその風景です(撮影、2020年6月23日)。 PNG 綾部市資料館から聖塚古墳へのルート
PNG 聖塚古墳と由良川 21年6月24日作成
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