崩落著しい玄室奥にがっちりとした石槨

 
 念願叶って鉄製の檻に囲まれた石槨墳、花山西塚古墳(クリック)に入ることができた帰路、桜井市観光協会のMさんがついでに宇陀市にも、入りにくいですが似たような古墳がありますが寄りましょうかとのお誘い。断る手はありません。軽い気持ちで、それは是非にと返事をして連れて行って頂いたところが動画の冒頭の熊笹生い茂る山中でした。
 一人では絶対無理と思いながら、目印の赤いテープを辿っていくと、古墳の石材と思われる巨石がこちらのほうを向いていました。近づいて石の下をみると土砂が堆積していて入室は不可能。どうやらこの巨石は埋没している羨道の天井石のようです。それにしても部厚く立派だと思いながら、Mさんの案内で玄室天井の隙間から、お目当ての石槨を見ようと滑り落ちないように注意しながら玄室内に降りてみました。たぶん土砂で埋まったさきほどの光景の続きのような感じではないか。そうした予想が見事に覆されました。たしかに土砂はずいぶん堆積していますが、堂々とした箱型の石材で組まれた玄室の奥に、玄室を一回り小さくしたような石槨が設けられていることがよくわかります。
 同じ石槨が設けられた古墳といってもレンガを積み重ねた(塼槨(せんかく)積み)花山西塚古墳とも、横口式石槨の羽曳野市の観音塚古墳(クリック)とも違います。同じ石槨墳といっても多種多様ですね。 それはともかく俄か勉強で恐縮ですが、野淵龍潜という明治の考古学者が、ヤマトの古墳の今でいう悉皆調査を行い大和國古墳取調書を著しています(復刻版もあります)。その中に、今回の嶽山古墳の存在も絵図とともに記され、石室内には入れないと書かれているそうです。そこに今回、潜り込むことに成功(苦笑)したことはちょっと嬉しいです。ちなみに野淵龍潜が残した調査は太政官、通達により古墳の乱掘や盗掘が禁止され、古墳の組織的な所在調査を行うことが求められたことによるものだそうです(天理大学公開講座記録》【大和学への招待】『大和國古墳墓取調書』と山の辺の古墳群、2014年4月5日)(撮影2020年3月26日)。にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
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