美形の墳丘に残りのよい石室


 この日は珍しく友人の車で太田行きでした。関越自動車道経由で2時間半ほど。あっという間とはいきませんが、乗り換えもなく快適でした。ただ、以前、東武伊勢崎線の太田駅まで行き、徒歩で太田天神山古墳(クリック)など散策した時に比べると周辺の景色をじっくり眺めることができず残念でした。
 それはともかく、目指す二ッ山古墳は田んぼに囲まれてひっそりとたたずんでいました。幸い、墳丘を住宅が囲むこともなく、今のところ動画冒頭のような美しい1号墳の姿が遠くからもわかります。 県道78号のほうから西に田んぼの間の道を進むと左手に2号墳が見え、右手奥に1号墳が見えます。1号墳が北側にあり、手前に見えるのが後円部、先が前方部です。主軸が北西ということになります。墳丘裾を歩くとすぐに落葉に埋もれた石室の開口部が目に入りました。この後円部に加え前方部にも石室はあるそうですが、現在では埋もれてしまっているようです。歩きながら石室が2基の前方後円墳、どこかで見たことがあると記憶を辿ってみました。そう。群馬県前橋市の墳長90mの総社二子山古墳(クリック)でした。こちらは後円部の石室が見学できず、また、四囲住宅に囲まれているので二ツ山古墳のように遠望は効きません。
 二ツ山古墳に話を戻しましょう。墳丘にあがると前方後円墳ということがはっきりとわかる残りのよさに驚かされました。田んぼに囲まれているにもかかわらず手つかずということは、代々の土地の所有者に恵まれたということなのでしょうね。前方部幅が後円部径よりも広い典型的な後期古墳です。前方部端まで進むと高さ5mということが実感できます。現在でもかなり斜面は急です。この斜面には葺石が葺かれ、2段築成の裾には円筒埴輪がまわっていたそうです。 
 肝心の後円部石室ですが、ご覧のように狭小でした。閉所恐怖症の人には難しいかもしれません。ただ、開口部が狭いのは土砂ではなく落葉の堆積なので、びっくりするほど難儀という感じではありませんでした。そして、羨道と思われる個所を匍匐前進で進むと一気に空間が広がりました。天井高が2.1mですから巨大というわけではありませんが、這いつくばってきた者からする「とほーっ」といった感じです。やや天井に向かって側壁が内傾化する持ち送りがみられます。使われている石材は無骨で荒々しく、自然の味わいです。他方、鏡石だけは一応滑らかにする作業の跡がみられました。また、興味深いことに開口部前に円筒埴輪が四角く並べてあったことが確認されており、前庭部的役割を果たしていたのではないかとみられています(太田市の古墳、太田市教育委員会、2010)。後期から終末期にかけての古墳石室にみられ、前橋市の宝塔山古墳(クリック)が代表的です。二ツ山古墳は副葬品も豊富で太刀、馬具、武具、金環等が確認されています。この墳丘の立派さ、大型の石室、豊富な副葬品等を考えると、東毛地区(群馬県の南東部で桐生市、太田市、館林市が中心)で飛びぬけて力のあった豪族の墓ということになります(撮影2020年4月16日)。動画撮影位置二ツ山古墳(太田市)21年6月2日作成
PNG 二ツ山古墳(太田市)所在地 21年6月2日
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