住宅街の一角に残る墳長120mの大型前方後円墳


 全国で墳長100m以上の前方後円墳は311基と考えられています。その中で大きく形が崩れることなく残され、しかも墳丘に上ることができるものというと決して多くはありません。その内の1基が坊の塚古墳ですが、動画でご覧のように住宅街に挟まれていて、その姿はよくぞまあ(残された)、といった感覚に襲われました。名鉄羽場駅からJR高山線、国道21号線を越えた北東方向に500mほど行ったところにあり、事前の調べでは、さほどまごつくこともなく現地に到着することができるはずでしたが、どうしてどうして。墳丘に沿うようにして生活道路が造られ、なかなか見つけられないのです。結局、朝の散歩をしていた地元の方に声を掛け連れていっていただきました。 
 ちょうど、数年にわたる発掘調査が行われている最中でところどころにブルーシートが見えましたが、墳丘を散策するには何の支障もありませんでした。収穫の一つは各務原市のHPに説明のある後円部の埋葬施設の姿を想像できたことでした。明治時代に盗掘が行われた長さ5mほどの石槨の板石が積まれた壁が部分的に復元されていました。なるほどという感じです。 残念ながら住宅に囲まれているために墳丘全体を遠目に眺めることはできませんが、後円部に上がってみると、以前はあったであろう雑木が伐採され前方部の先まで見通せたことはラッキーでした。墳丘全体には葺石が葺かれ、後円部頂には円筒埴輪が廻っていました。 
 それにしてもこの地に古墳時代中期、これだけ大きな前方後円墳(岐阜県では最大)が築かれたのか気になります。各務原市教育委員会のパンフレット「かがみはらの古墳」(1995年)には大筋、次のようなことが書かれていました。各務原市は木曽川中流域の北岸にあって濃尾平野の北部に位置し、中央には洪積台地が存在し、その周辺には肥沃な沖積地帯が広がっていること。こうした地理的環境の下、古代の各務原市には幹線道路、東山道や駅家(うまや)が設置され、美濃(各務原市側)から木曽川対岸の尾張への渡河地点として重要な位置を占めていた。こうした為政者にとり重要な地域だけあって、400年ほどの古墳時代に美濃地域全体で築かれた3000基といわれる古墳のうち、600基が現在の各務原市で確認されているそうです。さらに、木曽川を挟んだ各務原市と犬山市の北辺にも視野を広げてみると、簡易マップに記しておきましたが、4面の三角縁神獣鏡出土で知られる墳長72mの前方後方墳、東之宮古墳(クリック)、墳長95mの前方後円墳、妙感寺古墳も築かれています。さらに南に下れば美しく復元された墳長123mの前方後円墳、青塚古墳(クリック)もあります。如何に木曽川を挟むこの辺り一帯が政治、経済的に重要であったことがわかります(撮影2019年3月6日)。PNG 動画撮影位置 坊の塚古墳 21年4月9日作成 
PNG  坊の塚古墳他 所在地 21年5月9日
PNG 美濃と尾張 坊の塚古墳関連 21年5月11日作成

坊の塚古墳基本データ

所在地 岐阜県各務原市

形状 前方後円墳

規模 墳長120m、後円部径72m 高さ10m、前方部幅66m 高さ7.8m2段築成、葺石あり、周濠あり

築造時期 4C末から5C前半

出土品 玉類、琴柱形石製品、高坏、壺等の土器、円筒埴輪

史跡指定 岐阜県指定

特記事項 2017年度(平成29年)の発掘調査で後円部の石槨が長さ5m以上ということがわかった