シンメトリカルな美しさの極致

 
(統合版にBGMをつけ、ほんの一部動画を追加しています)
 マップにあるように山陽本線有年駅の北側は古墳、とりわけ後期の群集墳がいくつも築かれています。既に紹介した塚山古墳群についで今回は木虎谷古墳群から2号墳です。2号墳といっても21基を数える古墳群中の盟主墳の印象です。他の残りのよい石室と比較しても全体の風格、玄室に厚さ45㎝もある石棚が築かれていること、丁寧な石組みなどから、そのような感じがします。 
 南を向いて開口する石室の羨道手前部分は天井石がありませんが、玄室に向かいゆっくり歩いていくと石棚がアクセントの奥壁を中心にバランスのよいもち送り(天井に向かっての内傾)が印象的な玄室が広がります。天井には数枚の大型の板石が並びます。床に転がる石材(石棺か?)を避けながら奥壁に近づくと、部厚い石棚に驚かされます。半端ではないですね。それにしてもこれをどのように利用したのだろうか、考えてしまいます。供物のようなものが置かれていたのでしょうか。
 奥壁に立ち開口部をみると両袖式であることがよくわかります。ただ、あまり袖石は大きくはなく控え目な印象です。赤穂市教育委員会の「有年地区埋蔵文化財詳細分布調査報告書、2017」は「羨道部が発達して、袖部は突出が弱くなっている」と書いています。また、両袖式の石室は赤穂市では例外的だそうで、その点からもこの2号墳が特別なものに思えます。既に紹介した塚山6号墳(クリック)は片袖式、塚山1号墳(クリック)は無袖式です。ところで報告書を見ると木虎谷、惣計谷(そけいだに)、塚山古墳群以外にも複数の群集墳がみられることがわかります。どうしてこの山間にと思ってしまいますが、干拓が進むまではこの有年地区が現在の赤穂市の地域の中心(盆地として平地面積が広かったため)だったそうです。そのことは二つのマップからもよくわかります。千種川による南北の河川交通と東西の陸路交通とが交差する地域となっています。動画冒頭、有年駅から北側をみると古墳群のある山々がひろがります。当時とさほど変わらぬ景色がのこされています(撮影2020年12月9日、 2021年2月21日)。PNG 木虎谷2号墳(二つ目のマップ)21年5月5日
PNG 有年地区古墳群 21年5月5日作成