日本最初の女性天皇の古墳?
 
 日本の古代史で女帝といえば推古天皇が思い出されますが、日本書紀や古事記は天皇と扱ってはいない飯豊天皇とされる女性が、平安時代の扶桑略記では清寧天皇の次の第24代の天皇として業績が記されているそうです。つまり推古よりも前に女帝はいたということになります。今回の短い動画で紹介する古墳は皇統譜には出てこないにもかかわらず、宮内庁は飯豊天皇埴口丘陵(いいとよてんのうはにぐちおかのみささぎ)として管理していることからすれば、その女性が政治的に重要な役割を果たしたことは間違いがなさそうです。
 最近読んだ義江明子さんの「女帝の古代史」(ちくま新書)では「雄略の子の清寧には子孫がなく、履中の孫にあたるオケ(仁賢)・ヲケ(顕宗)の兄弟が播磨で発見され、清寧の後を継いだという。この時、王族断絶の危機にあって重要な役割を果たしたとされる女性が飯豊王である。兄弟の姉とも姨(おば)ともいい、『記』『紀』でも伝えは一致しない」と書いています。これだけ重要な古墳にもかかわらず残念ながら宮内庁管理下にある墳長90mの前方後円墳は緑濃い山状で近づくことはできません。google map でみると前方部がかなり発達した前方後円墳で、後円部径50mに対して前方部幅は70mになっています。アクセスはわかりやすく近鉄御所線の近鉄新庄駅から南に500mほど下ったところにあります(撮影2019年5月8日)。PNG 飯豊天皇埴口古墳(葛城市)所在地 21年4月19日
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