神宿る島、沖ノ島を支えた豪族の古墳群
 世界遺産登録で俄かに知られるようになった沖ノ島ですが、肝心の沖ノ島を訪れることはできません。島では4C後半から9C末まで活発に行われた大陸との交流の安全を祈願する祭祀が行われ、当時の祭祀遺跡がほぼ手つかずの状態で残されているそうです。その沖ノ島には宗像大社沖津宮、大島には宗像大社中津宮、陸地の九州側には宗像大社辺津宮が置かれ現在まで信仰は受け継がれています。その沖ノ島を支えてきた豪族、宗像氏の墳墓ではないかと考えられているのが奴山古墳群です。いささかややこしいですが玄界灘に面した津屋崎町東部の丘陵には南北7㎞、東西2㎞にわたりいくつかの古墳群が築かれており、そのうちの一つが奴山古墳群(新原・奴山古墳群ともいう)です。沖ノ島、世界遺産、古墳とネットで検索するとこれらの古墳群名がヒットし頭が混乱します。 沖ノ島を支えた豪族の墓ということで世界遺産に登録されたということなのでしょうが、自然保存された古墳群は、これまでこのブログで紹介してきた数々の古墳と比べて特段の特徴があるわけではありません。動画冒頭の光景は奴山古墳群を200mほど東の高台から見たものですが、正直、さほどの感動はありませんでした。41基残る古墳の中で最大の墳長80mの22号墳は墳丘全体が緑に覆われ(動画の後半で24号の後円部越しに登場します)、帆立貝型前方後円墳ということはよくわかりません。今回の24号墳はそれでも墳丘がよく残っているので最初にアップすることにしました。出土品は須恵器が採取されています。訪れたのは3月も末でしたから、もう少し寒い時期であれば古墳群全体の見栄えもよかったかもしれません。古墳めぐりは本当に時期を選びます(撮影2019年3月27日)。
PNG 沖ノ島と奴山古墳群位置関係2021年3月5日作成


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