前方部が短い帆立貝形前方後円墳6基を一挙に見る!
  
 古墳の形態はご存じのように大雑把にいって前方後円墳、前方後方墳、円墳、方墳に分類されます。考古学者の都出比呂志さんは、古墳時代の地方首長(豪族)が造る墓の種類は、その豪族の序列(当該首長の出自、系統)、規模は支配地域の広さや支配領域等実力を反映していると考えました。有力首長層による連合政権としてのヤマト王権の標準的な墳形が前方後円墳であり、地方の首長がその墳形を自身の墳墓にも取り入れたのは、「鉄をはじめ首長自身の領域では自給できない必需物資の供給、あるいは中国や朝鮮半島の先進的文物を獲得するうえで」それらを独占管理していた有力首長層のもとに参集しなければならなかったからです(都出比呂志、横領の考古学、岩波新書、2000を参考)。そして自身の支配地域でもこの墳形や規模で序列を形成していたと考えられます。つまり地方首長は自由な意志で墳形と規模を決めることができたわけではなくヤマト王権の指示ないし了解が前提であったとみなされています。 
 今回の帆立貝形前方後円墳は通常の前方後円墳とは違い前方部が極端に短いのが特徴で、あたかも上からみると帆立貝のようであることから名づけられたものです。なぜ、通常の前方後円墳のように前方部が長くないのでしょう。不思議です。鍵となるのはこれら帆立貝形前方後円墳が造られた時期です。これまでこのブログでアップした11基は全て5C、つまり古墳時代中期の築造です。そしてこの5Cといえば、百舌鳥・古市古墳群で大規模な前方後円墳が集中して造られた時期です。百舌鳥古墳群では墳長525mの仁徳天皇陵(大仙古墳)はじめ墳長200m以上が4基、古市古墳群では墳長425mの応仁天皇陵(誉田御廟山古墳)はじめ200m以上が6基もあります。もちろん百舌鳥・古市古墳群以外の地域でも古墳時代中期に前方後円墳が造られていないわけではありませんが、これだけ前方部が短い帆立貝形前方後円墳がこの時期に偏っていることは、王権の強い意志、たとえば大王墓以外は、よほどの例外でなければ通常の前方後円墳は造ってはいけないなどの意志が働いたのではないでしょうか。少なくとも被葬者あるいは被葬者周辺の人々の単なる嗜好で、この形状を選んだのではないということはいえそうです。なお、動画で紹介した6基を含め古墳名をクリックすれば、それぞれの古墳の頁に飛ぶことができます。お楽しみください。
 既にアップ済みの古墳動画を再編集したためお見苦しいところがあります。ご容赦を。
PNG 典型的な帆立貝


野毛大塚古墳
三吉石塚古墳

旗塚古墳
女体山古墳
志段味大塚古墳
勝手塚古墳
乙女山古墳
風吹山古墳
御願塚古墳
塚山西古墳と虚空蔵古墳


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