中規模の前方後円墳でもこの存在感!
これまでの「幾ちゃんの独り言」でも「これぞ」と思われる前方後円墳を何度か紹介してきました。ただ、振り返ってみるといずれも100m超クラスの大型前方後円墳でした。地方の首長、中央の大王あるいはそれに続く人々の墳墓です。それだけに大変な迫力という表現がぴったりの墳墓ですが、100m超級は全国で302基しか確認されていません。他方、前方後円墳(後方墳)全体では5200基ほどが造られています。ヤマト王権から古墳時代約350年の間に墳形を前方後円墳(後方墳)に葬ってよしとされた人々の数です。多いようにも思えますが、3C半ばから7C初めという長い期間に5200基ですから選ばれた人々であったことは間違いがありません。それら権力の座にあった人々が大変な労働力と資材を投入、調達してあの人口構造物を造ったわけです。墳長525mの仁徳天皇陵(大仙古墳)は、大手建設会社大林組の試算では、1日ピーク時に2000人働いたとして15年8か月かかり、試算時(1985年)の貨幣価値で796億円もの巨費を投じなければならなかったとしています。
今回紹介する8基は、墳長57mから89mと中規模の前方後円(後方)墳ですが、築かれた地方にとり畿内(仁徳天皇陵(大仙古墳)が築かれた)とは違い人口も少なく、投入できる資材も限られたいたでしょうから、それなりに大がかりなイベントだったに違いありません。だからといって無理やり人々を動員したとは言えないようで、葬られた(葬られる)リーダーの次のリーダーの交代式的色彩もあったことから自発的に農閑期を中心に積極的に古墳づくりに参加したとみられています。そうしたことを参考に2分30秒にまとめた鹿児島県から福島県までの8基をご覧いただければと思います。紹介している古墳動画をさらに見たい方は下記の古墳名をクリックすると元の頁に飛ぶことができます。これまでの「幾ちゃんの独り言」でも「これぞ」と思われる前方後円墳を何度か紹介してきました。ただ、振り返ってみるといずれも100m超クラスの大型前方後円墳でした。地方の首長、中央の大王あるいはそれに続く人々の墳墓です。それだけに大変な迫力という表現がぴったりの墳墓ですが、100m超級は全国で302基しか確認されていません。他方、前方後円墳(後方墳)全体では5200基ほどが造られています。ヤマト王権から古墳時代約350年の間に墳形を前方後円墳(後方墳)に葬ってよしとされた人々の数です。多いようにも思えますが、3C半ばから7C初めという長い期間に5200基ですから選ばれた人々であったことは間違いがありません。それら権力の座にあった人々が大変な労働力と資材を投入、調達してあの人口構造物を造ったわけです。墳長525mの仁徳天皇陵(大仙古墳)は、大手建設会社大林組の試算では、1日ピーク時に2000人働いたとして15年8か月かかり、試算時(1985年)の貨幣価値で796億円もの巨費を投じなければならなかったとしています。。
役所塚古墳(鹿児島県)墳長57m 中期
蓬莱山古墳(大分県)墳長60m 前期
今宿大塚古墳(福岡県)墳長64m 後期
沖出古墳(福岡県)墳長68m 中期
南大塚古墳 墳長84m 前期
白山神社古墳 墳長89m 前期
後二子古墳 墳長85m 後期