周濠に浮かぶ2段築成の墳丘が美しい中型前方後円墳
 
 高崎駅からコミュニティーバス、ぐるりんバスで30分ほど。つい最近、リニューアル版をアップした八幡観音塚古墳(考古資料館)(クリックすれば飛べます)に到着です。南には碓氷川が北東には烏川が流れる丘陵です。バスは碓氷川方面からかなりの勾配の坂を登っていきます。そこに今回の二子塚古墳、平塚古墳、観音塚古墳の前方後円墳三基からなる八幡古墳群が形成されています。墳長105mの平塚古墳が5C後半、墳長66mの二子塚古墳が6C前半、そして墳長105mの観音塚古墳の順で築かれいずれもこの地域の首長墓と考えられているようです。
 右島和夫さんの『群馬の古墳物語(下巻)』(上毛新聞社、2018年)によれば、この地が古墳時代東国と畿内を結ぶ東山道(のちの中仙道とほぼ同じルートといわれている)が通る交通の要衝であったとのこと。マップでおわかりのように碓氷川沿いに東山道は通っていたようです。 墳長66mと中規模の前方後円墳、八幡二子塚古墳は動画でおわかりのように、二段築成の墳丘の残りがよいのが好印象です。しかも墳丘の周囲をまわる15mから20mほどの濠も確認できます。これに対して動画2の最後に加えておきましたが、墳長105m、舟形石棺が墳頂で見つかった平塚古墳は今では遠くからみても古墳ということはわかりません。それだけに二子塚古墳が目立ちます。ただ、発掘調査はほとんど行われておらず、後円部に南側を向いた横穴石室が造られていると考えられています。大型の横穴石室が完存する八幡観音塚古墳からは300mほどしか離れていません。是非、セットで訪問をお勧めします。
 先ほど触れた東山道ルートが開発されたのはヤマト王権が馬の生産に力をいれはじめたからといわれていますが、思い出したのは2010年8月1日に放送されたTBS世界ふしぎ発見「日本のポンペイ!?ヨロイの古墳人が語る古代群馬の謎」です。榛名山の火山灰に埋もれた武人について番組では本来ならば近くの100m級3基からなる保渡田古墳群に葬られるべき高位の人物だったこと。尾骶骨から日常的に馬に乗っていたこと、近くから発掘された夫人は頭蓋骨の研究から馬の生産で知られる木曽谷出身というものでした。ほぼ同じ頃に築かれた八幡塚古墳群(保渡田古墳群の南西4㎞ほど)。榛名山の噴火に倒れた武人は二子塚古墳近くを通る東山道を行き来していたのでしょうか(撮影2019年10月17日11時45分)。PNG yawatakofungun to hotodakofungun zu
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八幡二子塚古墳基本情報

所在地 群馬県高崎市八幡町

形状 前方後円墳

規模 墳長66m、後円部径41m 高さ9m、前方部幅48m 高さ9m2段築成、葺石

周濠あり

築造時期 6C前半

出土品 周濠内から人物、馬型埴輪等

史跡指定 高崎市指定

特記事項 なし


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