再訪の甲斐があった貴重な構造の石室


   はじめて龍角寺岩屋古墳を訪ねたのは5年前、201541日でした。あいにくの空模様でしたが北側の木立越しに見る巨大な方墳は幽玄で一幅の日本画のようで心に残っています(旧版冒頭にあります。クリックすれば飛べます)。しかも三段築成高さ13mの墳頂には風と雨に濡れた桜の花びらが散りそれは美しかったです。ただ、現在のような照度の高いヘッドランプを持ち合わせておらず、やむなくフラッシュで明るくした静止画像しか取れませんでした。入室はできないものの動画でズーム撮影したらどう見えるだろうか。今回はその一点で再訪しました(龍角寺古墳群のみそ岩屋古墳なども訪ねました)。

 新たな発見がありました。それも東国では非常に珍しい石室内部を確認することができました。全長4.2mとこぶりの西側石室の奥壁の手前に板状の仕切り石が石室幅いっぱいに立っているのです。高さは50㎝ほど。九州の石室によく見かける死床(埋葬施設、この枠内に遺体を置いた)ではないかと思い、栄町の文化財担当の方に確認したところ当たりでした。だからといって九州の工人が造ったというわけではないようで朝鮮半島の影響とも思われるがよくわかっていないとのことでした。いずれにしても千葉、東京、神奈川、埼玉、栃木、群馬、福島と20基を超える石室を見てきましたが死床がある石室ははじめてでした。単室構造で羨道もはっきりわからないので玄室は無袖式ですかとお聞きしたところ、いえ、両袖式ですとのこと。あれあれと思いながら説明を聞いて納得です。動画2でキャプションをつけましたが鉄格子の両サイドが砂岩切石を積み上げて袖(大型の一石を立てるのが通常の袖石)としており、玄門と呼ばれるその幅は1.38m。奥壁幅は1.64mですから玄室幅のほうが大きく両袖式です。やはり専門家に聞いてよかったと思いました。それにしても旧版にも書きましたが、終末期の古墳が集中する東国のこの地で、方墳が大半を占めるといわれる中央の蘇我氏の墳墓の形状と同じ古墳が何基も存在する点は単なる偶然なのでしょうか。興味は尽きません(撮影2019116日)。

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