陪塚が遠望できる大型前方後円墳


  今回の宇土墓古墳、500mほど西にある以前紹介した墳長210mの前方後円墳、西陵古墳(クリックすれば飛べます)、消滅した西小山古墳(円墳)とともに古墳時代中期の淡輪古墳群を形成します。難儀の末ようやく脱出した西陵古墳から歩くこと15分ほど。陵墓に指定されているため墳丘西側に拝所(垂仁天皇の皇子の墓)が設けられていました。拝所前の幅122mの前方部は裾はきれいに草刈りがなされていましたが、南側にまわり周濠越しに後円部方向の墳丘をみると一面鬱蒼とした森で少々がっかり。とはいえ気を取り直して後円部側にまわると、墳丘の巨大さがまずまず確認でき一安心。ここでのポイントは後円部の南北方向に数基の陪塚が残されているところでしょう。住宅開発が行われているにもかかわらず、それを縫うように小型の円墳の陪塚が点在し、そのうちの一基は南海電鉄淡輪駅横に遠くから確認できます(動画2)。

淡輪古墳群はまず5C前半に西陵古墳が造られ、その後、5C央以降に宇土墓古墳、西小山古墳が築かれたことが出土した埴輪から推定されています。それにしても2基の大型前方後円墳が築かれたあと、この地には目立った古墳は見られないのはどういう理由なのか不思議です。というのも地図からわかるように、古墳の立地としては非常にわかりやすいところです。瀬戸内海、大阪湾と海を支配し、内陸、とりわけ紀伊北部へと活発に活動した豪族の長の墓に違いありません。そうしたルートは古墳が築かれなくなったとも存在したはずで、その人々の墓はいったいどこへ行ってしまったのか不思議です(撮影2018115日)。
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PNG宇土墓古墳と陪塚(YU用)
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