完存する最古の段の塚穴型石室


野村八幡神社古墳太鼓塚古墳(段の塚穴)、拝東古墳(いずれもクリックすれば飛べます)と3基を紹してきた吉野川沿いの古墳は石室の造り方が独特で、圧倒的な存在感をもっています。奥壁上段の大きな板石が天井に向かって急な角度で架けられているのです。ご覧のようにその斜度が半端ではないのです。玄室も中央の幅が広い胴張り型で共通しています。佐賀の田古里古墳や福岡の日拝塚古墳(ともにクリックすれば飛べます)の穹窿式とも共通していますが、段の塚穴型をいくつか見た今、違いのほうが目立ちます。

今回の大国魂(おおくにたま)古墳は、最も西に造られており、八幡古墳群に属する1基で、唯一石室が開口している貴重な古墳です。しかも最も早く造られた段の塚穴型の古墳だとのこと。期待は高まります。倭大国魂神社(やまとおおくにたまじんじゃ)の社殿右の雑木林のなかに入ると動画1冒頭の標識が見えます。ただどこに墳丘がときょろきょろしましたが見えません。実はこの辺りは墳丘の頂上で石室は右側に下ったところに開口していました。

 「うーん」思わず唸りました。開口部がかなり狭いからです。でもここで引き返すという選択肢はありません。カメラを右手に抱えながら潜ります。さすが全長4.6mと短いだけあって、すぐに玄室、それもヘッドランプに照らされた奥壁まで見えます。ただ、動画1をご覧になればわかるように玄室全体がとらえられていません。玄室の奥行きが2.17mしかないのに、幅が2.22mもあるからです。玄室に入ると石棚が途中にある小ぶりの石が積み重ねられた奥壁が待っていました。そしてその石棚のすぐ後ろの大きな板石が斜めに天井に向かって延びていました。天井高は2mしかありませんから、太鼓塚(段の塚穴)の4.3m、野村八幡神社古墳の3mと比べスケール感の乏しさは否めません。ただ、胴張の石室、大型の板石が天井に掛けられたユニークな穹窿型という点で、最初に造られた段の塚穴型古墳という説明に納得です。

石室の特徴はこれまでの研究(岡山真知子、中川尚、阿波学会紀要20095月)で比較的狭い地域を支配する氏族ごとにみられる一方、段の塚穴型古墳が造られた地域を支配していた氏族については古代の記録には全く登場しないそうで、このことから在地の有力氏族の墓ではないかと推測しています(東隣の麻植郡は阿波忌部氏の本拠地ということもあり古代の記録には頻出しているそうです)。アクセスはこの日、いくつかの古墳を短時間で回らなければならずやむなくJR徳島線阿波半田駅からタクシーをお願いしました。5分ほど(201949初旬)。
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