破壊は進んでいるが興味深い壱岐島の2


  これまで紹介してきた長崎県壱岐島の巨石墳は掛木古墳、双六古墳、松尾古墳、笹塚古墳、兵瀬古墳と5基にのぼります(いずれもクリックすれば飛べます)。壱岐島という決して広くはない土地に圧倒的なスケールで築かれた数々の古墳に驚きを禁じ得なかったのですが、今回の真部呂1号墳、鬼屋窪の2基は趣きがだいぶ異なります。ともに破壊が進んでいます。もっとも残存する真部呂の後室(玄室)と前室の一部の巨石を用いた石組みから築造時の規模を想像することは可能です。本土の他の古墳石室と比べても巨石墳といって間違いはないでしょう。とはいえ複室ではあるものの前後の二室ですから、掛木、笹塚等の三室構造の巨石墳とは格が違います。壱岐島では松尾古墳クラス同様の中規模クラスではないでしょうか。説明板にもそのように書かれていました。なお、短期間に集中して築かれた巨石墳のなかでもこの真部呂古墳は最も早い時期のものと考えられているようです。

 他方、鬼屋窪古墳はスケールは全く違いますが奈良県明日香村の石舞台古墳と同様のスケルトン状態です。なのに鬼屋窪古墳が知られているのは側壁の二か所に残された捕鯨の線刻画がのためです。なかなかに興味深いのですが、見方が悪いのか風化が進んでいるためか説明板にあるようなはっきりとした様子はうかがえませんでした(撮影2019326日)。
PNG 真部呂1号と鬼屋窪位置
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