天王塚古墳と小学校に残る円墳4基


 今回で最後になる後期古墳の公津ヶ原古墳群(千葉県、成田市)からは既に船塚古墳(公津ヶ原古墳群1)、公津ヶ原3号墳(瓢塚古墳)(公津ヶ原古墳群2)、それに中層のマンションが立ち並ぶ間に眠る公津ヶ原古墳群3(前方後円墳1基(16号墳)、円墳1基(11号墳)を紹介しました(いずれも古墳名をクリックすれば飛べます)。今回も吾妻神社に残る墳長63mの前方後円墳、天王塚古墳、吾妻小学校に保存する4基の小型の円墳です。それぞれ発掘調査も行われておらず詳しい情報はありませんが、4回の公津ヶ原古墳群の15基ほどの古墳を通してみると古墳時代の後期にこの地が豪族やその下のクラスの人々の奥津城であったことがイメージとして湧いてきます。過去の開発ならば、この程度の規模の前方後円墳や円墳は跡形もなく削平されていたに違いありません。現在でも調査後には開発の名のもとに遺跡は消え、古墳があったことは説明板でしか知ることはできないのが実情でしょう。その意味ではビルや住宅の谷間に縫うようにして残された公津ヶ原古墳群は大変に貴重で、それを試みた開発に携わった人々の先見の明に感心せざるを得ません(撮影20161231)

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