葺石を含め完全に復元された墳長90mの前方後円墳

 山陽本線の柳井港駅から徒歩で30分ほどかかったでしょうか。動画1の冒頭にあるような山並みが北側に広がります。目指す古墳はあの山腹に築かれています。地図でみるとそれほどの距離ではないのですが途中から山腹を這うように道が続き瀬戸内海を見渡しながら歩いたためか予定よりも遅れての到着です。でも車ではこの感覚は味わえません。桜が咲き始めた道を登りきると後円部が姿を現しました。石の塊に見えます。お世辞にも美しいとはいえませんが葺石が貼られた墳丘こそが築造当時に近いのです。ゆっくりと墳丘に沿って歩くと前方部を南側(海側)に向けた全体像が広がります。全国の古墳の多くが自然保存(

墳丘が雑木林で覆われている)で古墳が築かれた時のように復元されているものはそれほど多くはありません。とりわけ今回の柳井茶臼山古墳のように一部ではなく、葺石や埴輪を含め完全に復元されているものは大変に貴重です。

 動画2のように前方部側からみると前方後円墳ということがよくわかります。墳長が90mに対して後円部の径が60m、前方部の幅が55mとやや前方部が広がる形をしています。それにしてもこの葺石は川原石。表面が滑りやすく歩きにくいことこの上もありません。参列者は前方部から後円部に登り埋葬施設を囲みながら祭祀を行ったはずで、同じような思いをしたのでしょうか。この古墳は明治25年(1892年)に現地の人々が発掘し、銅鏡、鉄剣などを確認しています。5面出土した銅鏡のうち、最大のものは鼉龍鏡(だりゅうきょう)で、直径44.8センチあり、古墳から出土したものとしては最大級だそうです。こうした出土品や墳形、埴輪等から古墳時代の4C末から5C初め、ちょうど前期と中期の境に造られたと考えられています。墳頂に立つと古墳が標高75mのこの地に築かれた意味が解ります。瀬戸内海を見下ろすには絶好の地です。動画3の最後に前方部の先に広がる瀬戸内海は当時の人々が見た景色とさほど変わりはないでしょう。これほどの海沿いに築かれた古墳の被葬者は瀬戸内の水運を支配する豪族であったことは容易に想像されます。この地域ではその後5C半ばに室津半島の先端に墳長120mと柳井茶臼山古墳よりも大きな前方後円墳、白鳥古墳が築かれます(未アップ)。アクセスは冒頭に記したとおりですがgooglemap でもルートは確認できます(撮影2018326日)。


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