全国の主だった前期古墳のさわりだけ紹介します!(2回に分けます、1回目)
 3C中頃に築かれた箸墓古墳以降4C後半までの前期古墳時代の前方後円墳(後方墳)を振り返ります(一部異なるものが入ります)。以下の文章はご関心のある方は是非お読みいただき、そうでなければ「通常は」からに始まる文章に飛びすぐ動画を見て頂ければと思います。
 
考古学者松木武彦さんは岩手県から鹿児島県まで展開された前方後円墳(後方墳)の序列システムが「箸墓を契機に中央からもたらされた、言い換えれば上から在地に被せられた序列の表現とは考えにくい。むしろ、在地の序列(弥生時代から大きな墳丘墓が首位というシステム、筆者註)がまず底流にあり、各地から中央へと、つまり上へ上へと架構されるように、纏向型前方後円墳や箸墓を嚆矢とする大型前方円墳ができあがってきたとみるほうが、資料のあり方にはよく合う」と述べています(「国の形成と戦い」前方後円墳、吉村武彦他編)。
 他方、同じ考古学者岸本直文さんは 「以後(箸墓古墳の被葬者を卑弥呼とし没年は247年頃。もがりを経て250年頃には埋葬されたとの立場、筆者註)箸墓古墳を起点として、前方後円墳共有システムが本格的に発動し、列島規模に波及する。これは墳墓の形態や葬送儀礼の共有により同族関係にあることを観念する、弥生時代に生まれた方式が拡大されたものである」「こうして各地における首長達は、地域内部における諸関係を内包しつつ、倭王権に緩やかに結びつき、前方後円墳を受け入れてゆく。それは必需材や威信材を入手する実利面とともに、倭王権が外的権威として機能したからであろう」(岸本直文「倭国の形成と前方後円墳の共有」、岸本直文編、史跡で読む日本の歴史、古墳の時代、吉川弘文館、2010)。
 一つの事象を前にずいぶんと見方が違うものですね。もっともお二人とも弥生時代からの延長線で見ている点は共通しています。今回の独り言では、ならばお二人が史料として議論された箸墓古墳以降の主要な古墳、それも4C後半までに造られた前期古墳の現在の姿はどうなっているかを動画で振り返ることにしたいと思います。ヤマト王権が地歩を固めた時期です。主として岸本さんが代表的な古墳として前掲書で触れられたものからピックアップしていますが、消滅しているものが多いことに改めて気づかされます。
 通常は一つの古墳について2本から5本の動画をアップしていますが、今回は北から南まで一つの古墳から1本としました。一度にみるとなかなか壮観です。ところどころキャプションに変換の誤りがあります。見苦しくてすみません。もっと見てみたい方は古墳名をクリックすれば、他の動画もご覧になれます。

箸墓古墳



椿井大塚山古墳



浦間茶臼山古墳



高松茶臼山古墳


石船塚古墳(岩清尾山古墳群)




赤塚古墳(川部・高森古墳群)


塚崎51号墳(花牟礼古墳)



造山1号墳(出雲古代王領の丘)


皇子山古墳


雨の宮1号墳

柳田布尾山古墳






にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村