幾ちゃんの独り言(32回)

 終末期古墳は古墳ではない?

 2019年の夏。猛暑が続いていますが皆さんはいかがお過ごしでしょうか。今回の独り言は古墳時代はいつにはじまりいつ終わったか、とりわけ前方後円墳の築造が終わったあとを古墳時代と呼ぶかどうかという些か小難しい話です。研究者の間の専門的議論だろうから古墳ファンには関係ないと思っていましたが、案外そうでもないことに気が付きました。

このブログを始めるときに大いに参考にしたのが考古学者広瀬和雄さんの「前方後円墳の世界」(岩波新書)でした。そこには「前方後円墳の時代を三期区分した場合、研究者によって違いますが、おおむねつぎのような年代が与えられています。前期は3C中頃から4C後半頃、中期は4C末頃から5C後半頃、後期は5C末頃から7C初め頃、さらに前方後円墳消滅後の古墳時代終末期は7C前半頃から8C初め頃」と書かれていました。このブログで紹介する古墳についてもこれを指標にしていますし、考古学者の白石太一郎さんはじめ多くの方々もこの見方を前提に古墳時代を考えていると思っていました。繰り返しますが、ポイントは前方後円墳が造られなくなった後に造られた墳墓の時期について古墳時代終末期と呼んでいることです。

 ところが別の見方もあります。歴史学者の吉村武彦さんなどは古墳時代の終わりは前方後円墳の築かれなくなった時期と主張しています。「前方後円墳の成立をもって古墳時代の開始とする考え方をとる。そこで古墳時代の終わりの時期が問題となるが、前方後円墳が築造されなくなると古墳時代が終了するという立場となる」(吉川他編、前方後円墳、岩波書店、2019)のです。わかりやすいのですが、ならば、広瀬さんなどが古墳時代終末期と呼ぶ時期についてどう呼ぶのでしょう。吉川さんは前方後円墳の築造が終了した後の「終末期古墳」は古墳ではなくなり、「飛鳥時代の墳丘墓」ないし「終末期墳丘墓」となると主張されています。この定義については考古学者の和田晴吾さんも同様の立場です。もっとも多くの研究者が賛同しているわけではないようで前掲「前方後円墳」の巻末の執筆者座談会で、「七世紀の古墳は古墳ではありません」といってもなかなか通じないし、飛鳥墳丘墓といっても使ってもらえません。そこで終末期の古墳については「飛鳥時代の古墳」という言い方をすることが多いですね」と述べています。

えーっと思いました。なぜなら、前方後円墳が築かれなくなったのは畿内では6C末のことです。アップしたばかりの7C後半に造られた花山西塚古墳の動画1の冒頭には、花山塚古墳と大きく刻まれたずいぶん前に立てられた石柱が映っています。てっきり終末期の古墳と理解していましたが、吉川さん、和田さんの定義では古墳ではないのです。実にややこしいです。前方後円墳が造られなくなった時期をもって古墳時代は終わりという定義には次のような疑問もわきます。畿内で前方後円墳がほぼ終了するのは6C末、それに対して東国では千葉県山武市の墳長115mの大堤権現塚古墳(いずれアップします墳丘がよく残っています)が一例であるように7Cになっても盛んに前方後円墳は造られています。とすると地域によって古墳時代の終わりが異なることになってしまいます。ますますわからなくなってきました。

もっとも和田さんの担当された章「前方後円墳とは何か」(「前方後円墳、前掲)を読むと、前方後円墳が築かれなくなった前後で墳墓に対する考え方が根本的に異なっていることが説得力をもって語られています。ご興味のある方は是非、お読みください。とはいえ、ここで終末期古墳と呼んできたものは古墳とは呼ばないと言われてもピンときませんね。このブログでは引き続き前方後円墳が築かれなくなったあとの墳墓も終末期古墳として紹介したいと思います。いずれ前方後円墳がなぜ築かれなくなったのか識者の見解を整理したいと思っています。

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