圧倒的な迫力の塼槨(せんかく)積み石室





 この変わった塼槨(せんかく)積みによる石室を有する花山西塚古墳を訪ねたのは今から2年半ほど前の2017215日のことでした。ご覧のように鉄格子に囲まれた異様な雰囲気のなかの見学でしたが、実はこの格子の上部には中に入れる口が空いていて、少なくない数の見学者が石室内に降りて見学するという光栄に浴しています。それほどの冒険を試みても見る価値のある塼槨(せんかく)積みの石室です。ただ私のように背が低いと中に入ることはできても、戻るのは至難の業です。脚立でも持ってはいろうかと考えているうちに、とても無理ということがわかり(個人的事情)、今回、限られた状況で撮影した動画をアップすることにしました。

 当日、花山西塚古墳を見学できたのは偶然でした。こうぜ1号墳(クリックすれば飛べます)への道順の確認で桜井市観光協会に問い合わせをしたところ、石室のなかに入っていた私を心配になって観光協会の方が探しにきてくれたのです。たしかに1号墳はともかく、こうぜ2号墳は体を横にして這いつくばってやっと入室できる狭さです。高齢者の私が出てこれなくなるのではと心配するのも無理はありません。ラッキーなことに、近くの今回の花山西塚古墳と同じ塼槨(せんかく)積みのをはじめいくつかの古墳を道案内して頂けるとのこと。ご厚意に甘えることにしました。古墳踏査を続けていると、色々な方々に助けられます。

 花山西塚古墳の様子は動画でじっくりご覧ください。舞谷2号墳(クリックすれば飛べます)には申し訳ないのですが塼槨(せんかく)積みとはいえ規模も格も違うという印象です。鉄の檻で保護している理由がわかるというものです。この小型(レンガほど)の平石や切り石を積み重ねた石室は中国、朝鮮半島を経由して倭に移入されたようで、番外編(韓国)で紹介した武寧王の墓室(武寧王陵)(クリックすれば飛べます)がこの塼槨(せんかく)積みによるものでした。こうしたところから花山西塚古墳の被葬者も渡来系ではないかといわれています。花山西塚で用いられているのはレンガではなく地元榛原(はいばら)石です。それにしてももう少し近づくことができていればなあと思うばかりです。キャプションにも書きましたが、あの羨道の部分は天井石が抜かれていることはわかりますが、整然と斜めに(二等辺三角形状)になっているのはどういう理由なのでしょう。色々調べましたが構造がよくわかりません。なお道順ですが今では桜井市観光協会のパンフレット(粟原(おおばら)周辺の古墳探訪)桜井の古墳探訪③)で詳細に説明されています(撮影2017215日)。

PNG 花山西塚古墳横穴石室 図


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