木立のなかに見つけたホッとする姿の前方後円墳


  春林院古墳を訪れたあと南に下り八王子神社を左手にみながら300mほど歩くと信号のある吉岡の交差点にぶつかります。そこからは合流した県道271号線をひたすら南へ7-800m。左手は原野谷川(はらのやがわ)、右手はこんもりとした緑です。加茂神社の手前50mのところにある鋭角に北向きに曲がる坂道(周囲は住宅)を登ると目指す瓢塚古墳です。説明板が目に入るので見つけるのは容易です。動画1の光景が続きます。

掛川市の国の指定史跡、和田岡古墳群は吉岡大塚古墳を最北端に原野谷川(はらのや川)沿いの台地に、春林院古墳、瓢塚古墳、行人塚古墳、各和金塚(かくわかなつか)古墳と中期の古墳が並んでいます。既に吉岡大塚古墳春林院古墳(いずれもクリックすれば飛べます)をアップしていますが、ランチをはさんだ(といっても川端でサンドイッチをつまんだだけですが)4-5時間かけてのウォーキングは好天に恵まれ、しかもほとんど平地。それぞれに見応えのある古墳で強く印象に残りました。当時の面影を残す周囲の景色をみながら訪ね歩く古墳巡りの面白さを再認識しました。

最初に訪れた吉岡大塚古墳は墳丘は陽当たりのよさのためにかなり緑濃く、後円部と前方部の境目などよくわからなかったのですが、今回の瓢塚古墳は墳丘上の木立が幸いしたのか下草はあまり生えておらず動画1冒頭のように精美な墳丘が迎えてくれました。前方部端が少し削られているとはいえなかなかに見事な姿が残されています。もとより築造当時は葺石が葺かれていたことが確認されているので現在の様子とは大きく異なるのでしょう。

やや意外だったのは吉岡大塚古墳の時にも感じたことです。瓢塚古墳は5Cつまり古墳時代中期の築造とされていますが、後円部と前方部の高さは後円部が上回り、前方部の幅も後円部径よりも短いのです。つまり中期古墳の一般的特徴だとされる前方部の発達はみられないのです。中期だからといって一くくりにしてはいけないと思いました。説明板によれば埋葬施設は後円部に棺が粘土郭で覆われ直葬されていたと伝えられており(明治30年代の発掘)、その際に銅鏡、玉類、鉄鏃等が出土しているとのことでした。

動画3の最後にワンシーンだけ載せてあるのは瓢塚古墳から北西方向に至近の距離にある行人塚古墳です。これも5Cに造られた40m規模の前方後円墳ですが既に前方部は削平され後円部だけが残っています。説明板のデータをみるとこの古墳も、前方部の幅は後円部径を大きく下回っており、前期の典型的な前方後円墳によく似ています。吉岡大塚、瓢塚、行人塚と同じ工人集団が築いた古墳ではないでしょうか(撮影、2018517日)。
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瓢塚古墳基本情報

所在地 静岡県掛川市高田

形状 前方後円墳

規模 墳長63m、後円部径37.8m  高さ5m、前方部幅25.2m 高さ3.5m

葺石あり、段築なし、周濠一部にあり

埋葬施設 後円部 粘土郭

築造時期 5C前半

出土品 銅鏡、玉類、鉄鏃等

史跡指定 和田岡古墳群として国の指定

特記事項 なし


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