幅広の前方部が印象的な古墳
幾ちゃんの独り言(27)では典型的な前期前方後円墳を紹介しました。後円部の高さが前方部のそれよりもはるかに高く、幅は後円部径よりも狭い墳丘が特徴でした(奈良県桜井市の箸墓古墳のようなバチ型のものもあります)。時代は下って中期(4C末から5C後)になると後円部と前方部の高さはあまり変わらなくなり、前方部の幅は広くなります。もちろん例外はありますが総じてこうした傾向がみられるようです。今回の和歌山市の大谷古墳もその一つで後円部径が30mに対して前方部の幅は48mと広い様子が確認できますし、紀の川河口に近い標高30mの尾根上に造られた墳丘からは和歌山市、その向こうに紀伊水道を一望にできます。動画2で見るように後円部からぐるっとまわり前方部の先に広がる広大な景色は古墳築造時とあまり変わらないのではないでしょうか。なお動画1の最後のキャプション正しくは右後円部、左が前方部です。
後円部の組み合わせ式石棺及び周辺からは武器、武具、馬具など多数の副葬品が出土しており、特に朝鮮半島で多数発見されている馬の冑は日本では大谷古墳以外では埼玉県さきたま古墳群の将軍塚古墳、福岡県の船原古墳の2例しか見つかっていない貴重なものです(現物は和歌山市立博物館で展示されています)。現地説明板によれば出土した人の歯から被葬者は20から30歳と推定され、朝鮮半島などでも活躍した紀氏の武人と考えられているそうです。
地図からお分かりのように紀の川を挟みこのブログでもいくつか紹介した国の特別史跡岩橋千塚古墳群が築かれており紀の川下流域を支配した大谷古墳の被葬者とは異なる紀氏一族の墓ではないかといわれています。(岩橋千塚古墳群2に飛べます。古墳名をクリックしてください)。アクセスは南海鉄道紀の川から徒歩で20分ほどです。駅北側に走る県道7号を東に歩き国道7号を越えて一つ目の信号の角にある「ほっともっと和歌山大谷店」を左折し150mほど歩いた左手です(撮影2017年11月28日)。
大谷古墳基本データ
所在地 和歌山県和歌山市大谷
形状 前方後円墳
規模 墳長67m、後円部径30m 高さ 9m、前方部幅48m 高さ9m
(後円部、前方部の高さは東西で異なるようだがほぼ同じ)。
築造時期 5C央
出土品 埴輪 武具、鉄鏃等武器、農工具、装飾品、馬冑等馬具
史跡指定 国指定
特記事項 後円部で発掘された石棺は阿蘇山の凝灰岩製の組み合わせ式家形石棺
人骨が残されていた
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