土砂の流入状況がよくわかる横穴石室

今回の宮山古墳群については被葬者が創始に関係したと思われる陽夫多神社の境内にある説明板以上の情報はありませんが、なかなかに興味深い内容を含んでいます。11基が神社裏の宮山に築かれ6C前半と最も早く造られた1号墳は墳長42mの前方後円墳、ここに神社創建に関わった人物が眠っているのではと推測しています。ついで既に紹介した大きな石室の残る御旅所古墳(クリックすれば飛べます)が裏山ではなく平地に築かれ、今回動画1と2で紹介してる横穴石室をもつ円墳2号墳、3号墳が6C後半に造られたとみています。

 大阪府の高安古墳群などとは比較になりませんが、盟主墳に近接して並ぶ円墳の数々は古墳時代後期の地方首長クラスと一族郎党の関係を物語っているように思えます。残念ながら2基以外は石室を観察することはできませんが、丘陵左手に広がる平野をみると権力者の奥津城としてこの地はまたとない地であることがわかります(動画3の最後)。どうりで中世天正年間には織田信長の伊賀侵攻に備え三回にわたり城が築かれたわけです。公園として整備された宮山は古墳と中世の城跡をみることができます。

 肝心の2号墳と3号墳ですが持ち送りの強い2号墳とさほどでもない3号墳とそれぞれに特色があるようです。羨道が完全に失われた2号墳と違い半分ほど残る3号墳は大量の土砂の流入さえなければかなり立派な両袖式の横穴石室が見られるはずで何とも残念です。現状は奥壁の三分の一ほどが埋没しています。とはいえ1300年以上もっけて徐々に埋められてきたと考えるとそれはまた感慨深いものがあります。アクセスですが東京から日帰りという強行軍だったこともありJR関西本線佐那具駅からタクシーを使いました。15分ほどです(撮影日201827日)。

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