東京湾をまたいで三浦半島が一望できる前方後円墳

 房総半島木更津の金鈴塚古墳に寄ったあとJR内房線で15分ほど南に下ると、目指す弁天山古墳のある富津市の大貫(おおぬき)駅です。木更津の太田山公園から見た富士山の美しさが脳裏に焼き付き、より海沿いにある弁天山古墳から東京湾はどのように見えるか胸が高まりました。駅から古墳が保存されている富津市中央公民館まで県道465号線を南に歩いて20分。道はわかりやすく大貫駅からはじめての信号を左折し登り坂の途中が公民館です。敷地に入ると動画1の墳丘がすぐ目に入り振り向くと期待どおりの光景が広がっていました。東京湾の先にうっすらと三浦半島が見えます。富士山の姿は捉えることができませんでしたが、丁度太陽が沈みはじめるタイミングで、古墳の主も見たであろう景色もこんな感じではなかったかと想像しました。丁度真正面の三浦半島走水から富津までは当時重要な海上ルートだったといわれています。

 墳丘は現地の説明版にもありますが明治期に小久保藩の藩校を造ったことをはじめとして度重なる改変のために大きく削られていたようです。そして昭和2年(1927年)に後円部から竪穴石室が見つかり、短甲や冑、鉄刀、鉄鏃など武具類が出土しています。珍しいのは竪穴石室の三枚ある天井石の内、中央の板石の短辺に大きな縄掛け突起があることです。石棺の蓋につく縄掛け突起は数多く見てきましたが、竪穴石室の天井石に突起があるのを見たのははじめてです。少々びっくりしました。その様子は動画3でご覧になれます。全国的にも珍しく畿内では奈良の屋敷山古墳、佐紀陵山古墳等にも石室天井石に同じような縄かけ突起がみられるそうです。それだけに海上ルートを支配していた被葬者のヤマト王権とのつながりの強さを感じさせます。竪穴石室は後円部頂にあったわけですが、その後円部の上半分盛土は全て削られ石室を保護する上屋が建っています。

 墳丘の復元方法は昭和の時代を感じさせるもので正直がっかりでした。土の崩落を防ぐためでしょうか、コンクリートで補強され前方部から後円部にかけては排水溝が通っています。おそらく現在の古墳の復元に詳しい専門家であれば違った方法をとったのではないかと思いました。それはともかく竪穴石室の天井板石の縄掛け突起を間近に見ることができるだけでも貴重です。事前に公民館に見学の申し込みをすれば上屋のカギを開けてくれます(撮影20181115日)。

 

PNG bentenyama kofun futtu ichizu

弁天山古墳基本データ

所在地 千葉県富津市小久保

形状 前方後円墳

規模 墳長86m、 後円部径53m 高さ8m、前方部幅50m 高さ5.5m

周濠あり

築造時期 5C

出土品 鋲留短甲、冑、鉄刀、鉄鏃等武具

史跡指定 国指定

特記事項 竪穴石室の天井板石の縄掛け突起は東日本では唯一

この地域では内裏塚古墳に続く首長の墓ではないかといわれている


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