紹介の難しい貴重な2基の大型前方後円墳

 このブログでは北は岩手県から南は鹿児島県まで数多くの前方後円墳の動画を紹介してきましたが今回の2基の古墳ほど現地の様子を映像を通して伝えることの難しさを感じたことはありませんでした。仁徳天皇陵(大仙古墳)など陵墓に指定され立ち入り不可能な古墳とは違って、飯籠塚古墳も、浅間神社古墳も墳丘に登ることは可能です。しかもともに全国で30基あまりしかない墳長100m超を越える貴重な大型古墳です。墳丘の残りも特に飯籠塚に関してはよいのです。ただ残念なことに墳丘全体が竹林に覆われ冬にもかかわらず見通しが効きません。動画1では柄鏡形の細長い前方部を歩く先にぼんやりと高さのある後円部が浮かび上がる様子をなんとか紹介できた気がします。浅間神社古墳も前方部が参道と重なったり後円部が社殿のために削平されてはいますが地山を削り出して造られている前方後円墳です。しかし墳丘を降りて古墳全体を見ようと思っても斜面と雑木が邪魔をして叶いません。動画3の最後がその様子を伝えています。想像力を働かしてようやく墳丘の形がわかります。その墳丘ですが飯籠塚が前期でも4Cの前半、浅間神社古墳が4Cの中頃ということと関係があるのでしょうか。浅間神社の墳丘は後円部と前方部の高低差は飯籠塚ほどにはありません。

動画撮影位置の略図からおわかりのように既に紹介した白山神社古墳(クリックすれば飛べます)と飯籠塚古墳、浅間神社古墳の3基が小櫃(おびつ)川を挟んで同じ4Cに造られており三者の関係が注目されます。「小櫃学―小櫃の三大古墳を巡る」(小櫃公民館、2017年)によれば、その後この地域で目立った前方後円墳は造られなくなります。他方、中期になると墳長144mとかなり大型の前方後円墳、内裏塚古墳(クリックすれば飛べます)が小櫃川ではなく小糸川流域で造られる一方、小櫃川流域を含め他地域の前方後円墳はずっと小さくなります。前出の「小櫃学」によれば前期においては地域の統合が中期ほどには進んでおらず大型前方後円墳造営者を頂点とする階層秩序はまだ確立されていなかったと考えられています。内裏塚古墳の被葬者は階層秩序の頂点に立っていた人物なのでしょう。とすれば小櫃川流域で造られた3基については、この地域を支配する豪族たちが比較的自由に古墳を築き、権力を誇示することができた時代、まさに古墳時代前期の4Cに造られたということになるでしょう。アクセスはJR浜松町駅から高速バスにで東京湾アクアライン経由でJR久留里線小櫃駅まで行き、小櫃公民館でルートマップを頂戴し3基を歩きました。久留里線で移動することも可能ですが本数が少なく小櫃駅を起点に徒歩でまわることをお勧めします(撮影2017128日)。




飯籠塚古墳基本データ

所在地 千葉県君津市

形状 前方後円墳

規模 墳長102m、後円部径55m 高さ11.5m、前方部幅39m 高さ7.5m

周溝あり

築造時期 4C

出土品 不明 

史跡指定 県指定

特記事項 墳丘は前方部が細長い前期に特有の柄鏡形

 

浅間神社古墳基本データ

所在地 千葉県君津市

形状 前方後円墳

規模 墳長103m、後円部径66m 高さ9.7m(東)10.8m(西)、前方部幅47m-50m

高さ不明。

築造時期 4C

出土品 不明

史跡指定 市指定

特記事項 なし



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