切石技術の高さが印象的な終末期の横口式石槨


 鬱蒼とした標高100mにある打上神社の裏山にある今回の石宝殿(いしのほうでん)古墳。小雨交じりの生憎の天気ということもあってあまり見通しがききません。そこにポッと現れた巨大な灰褐色の石の塊。びっくりしました。封土があったのかなかったのか。見方もわかれるようですがなかったとすればきれいさっぱり、こんなにも石像然という姿になるものでしょうか。それはともかく横口式の石槨といえば奈良県高取町の寺崎白壁塚古墳、大阪府南部の羽曳野市の観音塚古墳が思い出されます。ただ石宝殿は底石の上に一つの巨石を加工した上石(石槨)を載せている点で異なります。花崗岩の巨石をくり抜いているわけです。いずれの古墳も切石加工の美しさが印象的でしたが、時代が下るということもあり技術レベルの高さでは石宝殿が図抜けているような気がします。

 動画からもその巨大さは伝わっていると思われますが、底石は約3m厚さ10㎝、蓋石は直径約3.2m高さ約1.7mもあります。羨道部分から石槨に歩を進めて驚されたのは、はめ込み式の扉があったと思わせる切込みです。そして中を覗くとその美しさにまた驚かされました。時代的には推古朝が終わり、権力を振るっていた蘇我蝦夷をバックに誕生した欽明朝の頃になります。寺院建築の技術など大陸から続々伝わっていた成果がこの横口石槨にも表れているのではないでしょうか。

 動画3では折角の下部に四つ並ぶ列石を紹介しています。これが何を意味するものか墓域の区画を示すものなど諸説あるようです。墳丘にあった封土の土留め石とすれば墳丘が八角形ではなかったかとの見方もあります。単なる印象ですが、冒頭に書いたように、あまりに石槨が独立した形で据え置かれているので墳丘そのものがなかったのではないかと思われて仕方がありません。アクセスはJR学研都市線東寝屋川駅下車徒歩15分。駅の東口に出てすぐの打上団地前の信号を左折しスーパーいずみやの敷地端まで歩き、反対側にわたり南東方向にある打上神社を目指します。緩やかな坂が続きます。神社を過ぎて暫くいくと動画1の石柱が見えます(撮影20171129日)。
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