陪塚(ばいちょう)も多数残る仁徳天皇陵(大仙古墳) 
 
仁徳天皇陵(大仙古墳)陪塚の編集をしている最中、大阪高槻市を震源とするマグニチュード6.1の大型地震が発生し多くの被害が出ました。お見舞いを申し上げます。震源の高槻、茨木といえば今城塚古墳はじめ数多くの古墳が残されていますが、マグニチュード7.25の伏見地震(1596年)では後円部の埋葬施設を含め大きく崩れたそうです。今回も被害が心配です。生駒山の大阪平野を見下ろす西側には既に紹介した山畑古墳群はじめ横穴石室のある円墳がいくつもあります。状況はどうなっているでしょうか。今回の仁徳天皇陵陪塚のある堺市も震度4を記録しています。本題に戻ります

  世界遺産登録を目指す百舌鳥古墳群は墳長100mを越す大型の前方後円墳が11基もあり既にそのいくつかは紹介しています。土師ニサンザイ古墳いたすけ古墳を代表例としてあげておきます(古墳名をクリックしてください)。仁徳天皇陵の周辺には宮内庁が陪塚(ばいちょう)として管理している12基があり今回紹介している6基は全てその中に含まれています。動画撮影位置をご覧になると後円部の北西側に永山古墳があります(クリックすれば飛べます)。墳長100mを越える堂々たる墳丘を一周しながら、これも仁徳天皇陵の陪塚なのだろうかと疑問に思っていたところやはりそうではないようです。久世仁士さんの「百舌鳥古墳群をあるく」(創元社、2014)に詳しく書かれています。読みやすくとても便利な本です。
 順序が逆になりましたが陪塚(ばいちょう)とは大型の主墳の周囲に従うように築かれた小型の墳墓を指し、その多くは親族や配下の物ではないかとみられています。副葬品だけを埋納した古墳もあるようです。

  動画撮影位置の右上を見ると南海高野線とJR阪和線が交差する三国ヶ丘駅があり、下車すると目の前が仁徳陵です。最も外側の濠に沿って遊歩道があり、すぐに後円部北東側に径34mの円墳、源右衛門(源右衛門山)古墳が見えます。金網越しの見学を含め、今回の古墳どれも墳丘には登れません。後円部に沿って西側に移動すると住宅が軒を連ねます。すぐに古墳とわかる茂みにぶつかります。これが丸保山古墳で墳長87mの帆立貝形前方後円墳です(どういうわけか横にラブホテルがあります)。後円部は径60mもあります。二段築成がよく残されていますが、残念なことに前方部は削られています。以前、幼稚園が建っていたためなんだそうです。気を取り直して墳丘沿いの遊歩道を歩くと前方部端手前に一辺26mの方墳、銅亀山古墳が右手に見えます。高さは4.6mというのですが現状はずっと低いです。前方部南端には径27mの円墳狐山古墳がありますが、銅亀山とともに夏の時期も草刈が行われ墳丘がよく観察できます。前方部端沿いに仁徳陵拝所に向かうと二基の帆立貝形前方後円墳、墳長61mの竜佐山古墳、墳長56mの孫大夫古墳が並びます。動画で見るように鬱蒼とした緑の中に目をこらすと墳丘を確認できます。カメラを後円部から前方部に振っているので前方部が低く小さいということもどうやらわかります。なお各動画には静止画像ですが仁徳陵のヘリからのから撮影したものを入れてあります(撮影2013327日、2017829日)。

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