スケルトン状の横穴石室

 鹿児島県長島の小浜崎古墳群は九州西側にある高塚古墳(墳丘のある古墳)の南限として知られています。その内の一基、鬼塚1号墳は東シナ海をのぞむ丘陵に築かれた小さな円墳です。墳丘は石室の天井の高さほどは残っていますが石室は動画1でお分かりのように半壊状態です。ご多分にもれず盗掘され東シナ海からの強風に晒され今日に至ったのでしょう。羨道のようにも見える天井板石のない空間は複室式石室の前室だそうです。後室は奥行2m、幅1.7m。奥壁は一枚の板石。床は平石が所々並んでいます。残念ながら天井石の一枚が玄室に落ちていてあまり見通しが効きません。両袖式ということは墳丘の上から覗いてようやくわかりました。このアングルで石室の中を見たのは規模はずっと大きいですが京都市の蛇塚古墳(クリックすれば飛べます)でした。鬼塚1号墳と同様に石室がスケルトン状況でした。1号墳以外に箱式石棺が残っている2号墳がありますが慌てていたせいか撮り忘れてしまいました(3号墳は埋め戻し)。

 小浜崎古墳群にはいずれ紹介する白金古墳、小浜崎1号墳、2号墳などが残されていますが、鬼塚1号墳は群中最も高いところに築かれています。共通するのは出土した副葬品の中に多数の鉄製の武器が含まれていたことです。そのことからこの地が海上交通、海洋軍事戦略上重要な地でありヤマト王権との関係も密接だったとみられています(鹿児島県立埋蔵文化財センター)。確かに急峻で平地の少ないこの長島に小浜崎古墳群を含め群集墳がいくつか残されているというのはそれなりの理由があったに違いありません。この小浜崎古墳群の古墳はいずれも相対的に規模の大きな横穴石室を有する古墳ですが海岸沿いの明神塚古墳群は明らかに小規模で積石塚のような墓です。小浜崎古墳群よりは下位の人物が葬られたのでしょう。とはいえ前日に訪れた鹿児島県東側の大隅半島には前期から後期まで前方後円墳が数多く造られていますが、西側の有明海、八代海、長島から薩摩半島にかけては見当たりません。小浜崎古墳群の被葬者が畿内の影響を受けたとしても大隅半島に眠る被葬者ほどに政権と蜜ではなかったと考えるべきなのでしょうか。

 アクセスは鹿児島中央駅から新幹線で出水(いずみ)まで移動し天草ロマンシャトルバスで温泉センター前まで行き、そこから蔵の元方面に県道を30分ほど歩くと道沿いにはにわ象が見えます。観光用のレトロなバスには私ひとりしか乗車せず1時間の旅を楽しみました。長島に入ると絶景が続きます(撮影2018222日)。


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鬼塚1号墳(小浜崎古墳群)基本データ

所在地 鹿児島県長島町蔵の元

形状 円墳

規模 径11m 高さ不明

横穴石室 長さ(推定)4.2m 後室 長さ2m 幅1.7m 高さ(推定1.5m

築造時期 6C

出土品 鉄鏃、刀子、鍔(つば)刀の柄と刀身の間に挟む板状のもの

須恵器(瓶、蓋等)

築造時期 6C

史跡指定 県指定

特記事項 本文でも記したように九州西海岸の高塚古墳としては南限



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