二重の意味で重要な古墳 
 今回紹介する前期古墳、和泉黄金塚古墳はいくつかの点で古墳時代の専門家、マニアにとり知られた存在です。発掘調査の結果、後円部からは埋葬施設(粘土郭)が三基確認され、帯金式甲冑二基など豊富な副葬品の中には景初(けいしょ)三年(239年)の銘がある画文帯四神四獣鏡が含まれていました。魏志倭人伝の記述、邪馬台国の卑弥呼が皇帝から送られた銅鏡百枚との関連が指摘されています。今では埋葬施設は埋め戻され想像するしかありませんが、それでも墳丘に登ってみるとその貴重さが感じられたような気がしました。
 その貴重な発掘は考古学者の故森浩一さんが17歳の時、荒れ果てた墳丘を見て緊急の調査をしたことがきっかけだと伝えられています。森少年が墳丘が荒れ果てていると感じたのは動画を見た方はおわかりのように終戦直前の1945年に陸軍が本土決戦に備え墳丘に陣地を構え多くの塹壕を掘っていたからです。その数は30近くにものぼります。歩いてみる盗掘坑にしては数が多すぎ、帰宅して調べてみると塹壕跡ということがわかりました。それにしても無残な姿です。穴を埋めればよいのにと思いましたが和泉市の担当者は戦争遺跡としての意義があり現状保存にしていると言っていました。なるほどそうかもしれません。和泉黄金塚古墳は二重の意味で歴史遺産なのですね。墳丘はかなり傷つけられていますが前期古墳ということは後円部から前方部をみるとよくわかります。

 JR阪和線の北信太駅から北東方向に300mほど歩くと堺泉北有料道路の高架下にぶつかります。取石南6丁目の信号を東に500mほど進むと左にかなり大きなクボタ建機大阪支店があり、それを過ぎた一本目を左折、北方向に進むと景色はがらっと変わり田畑が広がり、その先に動画1で見た墳丘が広がります。周濠跡と思われる古墳の周囲は雑草が生い茂り足をとられやすいのでご注意ください(撮影2017116日)。
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和泉黄金塚古墳基本データ

所在地 大阪府和泉市上代町

形状 前方後円墳 後円部三段築成、前方部二段築成、周濠あり

規模 墳長 94m 後円部径57m 高さ9m、前方部幅42m 高さ6.5m

築造時期 4C

出土品 帯金式甲冑、鉄刀、鉄剣、鉄鎌、景初三年銘画文帯四神四獣鏡等銅鏡、玉類、円筒埴輪、形象埴輪

史蹟指定 国指定

特記事項 墳丘の多数の孔は太平洋戦争末期の塹壕跡



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