師走を迎え何かと気忙しい日々が続いています。皆様にはいかがお過ごしでしょうか。

久しぶりの幾ちゃんの独り言です。今回は石室についてのお話です。といっても学問的ではなく情緒的なレベルに留まりますがやや長文です。

 数えてみたらアップした石室動画は堅穴石室を含め80基ほどあり(201712月はじめ)、自分でもびっくりしました。いつだったか、ある古墳の専門家が石室に興味を持つのはいいけれど、蟻地獄に陥りますよといってましたが、その気持ちが最近わかりはじめてきました。石室が残されている古墳の多くは後期、終末期に集中していますが、その大半が開発されていない人里離れた山奥とはいわないまでも山の中にあります。道といってもけもの道のようなところも少なくありません。過去に標識を建てられていても朽ち果てていることも多く、先駆的な古墳ファンの皆さんの苦労がしのばれます。その後塵を拝しながら私も、そのいくつかを訪れていますが、発見した時の喜びは言葉にするのは難しいほとです。入室できるかどうかが次のポイントです。


 場所は比較的わかりやすかった奈良県桜井市の赤坂天王山古墳(クリックすれば飛べます)の開口部は本当に狭く(高さ4-50センチほど)、新聞紙の上に腹ばいになり足で蹴飛ばしながら匍匐前進のように進みました。ヘッドランプを照らしながら羨道を進むと、ぼんやりと家形石棺が浮かび上がり、見上げると高さ4mほどの玄室の空間が広がっていました。あの時の気の引き締まるような思いは今でも忘れられません。

羨道に続く天井の高い玄室に到達した時のあの何ともいえない感覚は石室を探し当ててもいつも味わえるものではありません。羨道そのものが欠落していなくとも、天井石がないなど大きく破損していきなり玄室のような古墳も少なくないからです。これまで紹介した石室で私が「気の引き締まる」と表現した感覚を味わえる古墳は奈良県桜井市の秋殿南古墳(古墳名をクリックすれば飛べます)、大阪府八尾市の愛宕塚古墳などいくつかあります。もっとも動画でその感覚が表現できているかはわかりません。


 考古学者の白石太一郎さんは「竪穴石室、粘土郭、棺直葬の埋葬施設はいずれも墳丘上にうがたれた土壙(どこう)内に棺を納めてこれを埋めてしまう形式であり、中期以降の一部の竪穴石室をのぞき、いずれも埋葬の行為と並行して構築されるものでした。それに対し、横穴石室は、墳丘の横に入口をもつ、全く違った考え方に基づく埋葬施設であり、埋葬に先立って築造される施設です。この新しい埋葬施設は、その先駆的なものが前期の末葉に北部九州に出現し、中期には北部九州のほか、岡山県地方や近畿地方にまで及びますが、九州以外の地域でそれが普及し、古墳ももっとも一般的な埋葬施設となるのは後期になってからのことです」と述べています(古墳の知識1、墳丘と内部構造、東京美術、1985年)。


 これまで紹介してきた横穴石室の多くは白石さんのいう全国的な広がりをもつタイプのものですが、時折、動画のキャプションに両袖式(型)、片袖式(型)、無袖式(型)などの表記があることにお気づきではないでしょうか。最後に平面図にまとめてみましたが、実際に残されている多くの古墳石室は羨道が原形をとどめていません。それにしても、なぜ、両袖、片袖、無袖という三つのタイプの玄室があるのでしょうか。専門書を当たってみても、袖とよばれるものがあり、それが三つのタイプに分けられるとは書いてありますが、なぜ、ある古墳で両袖が採用され、片袖ではないのかなどの分析を見つけることはできませんでした。ただ、三つの石室のある前方後円墳、奈良県葛城市の二塚古墳のところで書いたように、最も規模の大きな後円部にある石室が両袖、前方部にある中規模の石室が片袖、造出しにある小型の石室が無袖だったことを考えると被葬者のランク順に両袖、片袖、無袖が採用されたのではないかと思っています。

その袖の色々を確認するには次の古墳をご覧ください。袖がよく映っている動画を
選んでみました。

両袖


牧野古墳(奈良)(以下いずれも古墳名をクリックすると飛べます) 動画3
牟佐大塚古墳(岡山)動画3
大坊古墳(広島) 動画3


いびつな両袖(左右で袖幅が異なる)
大谷山22号墳(和歌山)動画3

片袖
宝塚古墳(島根) 動画3
珠城山古墳(奈良)動画2
山畑2号墳(大阪) 動画2

無袖
当麻谷原3号墳(神奈川)動画1
実円寺西古墳(静岡)

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