大いに期待して目的地に到着して目にしたものは・・・。正直、がっかりしてしまいました。それをお目にかけるのは気が引けるのですが、数多くの古墳を訪ねあるいているうちにはそういうこともあると考えて頂ければと思います。

 古墳の位置づけとして象鼻山1号墳は極めて重要です。養老町のHPでも紹介しているように、中国の歴史書『三国志』魏志倭人伝は3C中頃に邪馬台国と狗奴国(くなこく)が坑争していたことを記していますが、近畿には西に影響力を持つ邪馬台国があり(邪馬台国畿内説を前提)、濃尾平野を中心とする東海には東に影響力を持つ狗奴国があり、対立していたというのです(結構多くの学者に支持されているようです)。そして、象鼻山1号墳は、一方の雄である狗奴国の王か王族の墓である可能性が高いといわれています。

 たしかに周辺で濃尾平野を一望できる最も見晴らしがよく、見上げるにもよい場所に築かれた古墳の被葬者は群を抜いて高い地位にあったことは間違いなさそうです。また三角縁神獣鏡ではなく双鳳鏡(き鳳鏡)1面が副葬されていたこと、埋葬施設の石を使わない墓坑と箱形木棺という組み合わせも東日本的なものであることから畿内とは一線を画した有力者すなわち狗那国のリーダーの墓だったという見方もできるわけです(WEB上に1996年から3年かけて行われた象鼻山1号墳の調査報告書概要がアップされています)。

 以前、狗那国論の第一人者赤塚次郎さんの講義を聴講して以来、是非、訪れたいと思っていた象鼻山1号墳です。否が応でも胸は高まります。幸い、見事な秋晴れです。現地近くまではバスは走っておらず、名古屋、大垣経由で養老鉄道の美濃高田駅から歩くことにしました。名神高速の養老SAの西にある山を目指して牧田川沿いに歩きます。ちょっと怖かったのは歩道のない結構頻繁にトラックが通る一車線道路を歩いたことでした。動画1の頭がそれです。50分ほどでようやく登山口に到着してフェンスを越え(猪や鹿よけ)標高140mほどの山頂を目指します。途中には古墳時代後期の円墳がいくつも残されています。そう象鼻山古墳群は弥生時代から古墳時代後期までの墳墓から構成されているのです。およそ10分で到達した山頂にも上円下方壇(墳ではない)とされる3号墳が東家の後に見えましたが、肝心の1号墳はどこに。周囲を見渡しても動画3で紹介したような弥生時代の墳丘墓がみえるだけです。しばし目をこらすとシダに覆われた墳丘らしき高まりが見えました。近づいてみると間違いありません。1号墳です。しか登ってみても膝ほどの高さまでシダが生い茂り方形ということが確認できません。前方後方墳ということがわかったのはこれもシダに覆われた短い前方部をみつけた時のことでした。説明を受けなければ、誰も前方後方墳とはわからないでしょう。邪馬台国と戦った狗那国の王墓かもしれない古墳がこれでは少々残念です。聞けば草刈は地元の有志の方々にお願いしているとのこと。養老町自身がなにか対策を考えて頂きたいものです(撮影2017116日)。
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象鼻山古墳群基本データ

所在地 岐阜県養老町

形状 前方後方墳(1号墳)その他弥生墳丘墓、後期古墳は円墳

規模 墳長43m、後方部26m×25m 高さ4.2m、前方部幅14m 高さ3m

築造時期 3C

出土品 双鳳鏡(き鳳鏡)、琴柱形石製品、鉄刀、鉄剣、鉄鏃、壺形及び甕形土器等

史跡指定 町指定

特記事項 甕形土器はS字状口縁台付と呼ばれるもので東海地域独特のもの


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