神門5号墳と同じ頃に造られた出現期の古墳、神奈川県海老名市にある秋葉山3号墳(2号墳メイン)は既に紹介していますが、残念なことに前方部が完全に失われ、現在は円墳のようにみえます(クリックすれば飛べます)。その点、秋葉山3号墳よりも少し前に造られた神門(ごうど)5号墳はだいぶ削られた印象はありますが短い前方部も確認できます。住宅地に囲まれているためにこの古墳の特徴である幅の狭い周濠は北側に関しては生活道路に化しています。それでも1700年以上も前の構築物がこうして現在の住宅と共存して残されていることに感心します。墳頂にあった埋葬施設からは剣、ガラス玉、鉄鏃が出土しているそうです。

5号墳ということからもおわかりのようにいくつかの古墳が神門古墳群として確認されています。調査が行われた3号墳、4号墳はいずれも5号墳とほぼ同じ規模の出現期の前方後円墳でしたが現在では開発のために消滅しています。興味深いのは3基から出土した土器です。現地説明板によればこの地区(国分寺台)の中台、天神台等多くの遺跡からは近畿、北陸、東海、北関東などの特徴をもった土器が出土しており、移住や地域間の交流が盛んであったことがわかるとしています。三基はいわば地域統合の象徴として造られたということになります。

交流が盛んであったことは古墳の50m東に今でも残る雷伝池がありその向こうは東京湾だったことからもわかります(現在は埋め立てられ海岸までは凡そ5㎞)が、3Cにはるか遠い近畿や東海地方と想像以上に往来があったようです。海路を用いたとして、7Cから9Cにかけての遣唐使船が無事に倭と唐を往来できる確率は高くはなかった(所説あるようですが高いほうで8割)とされていますから、それよりはるか以前の3Cの航海成功の確率はいかほどのものであっただろうかと考えてしまいます。それでも交流の証明としての各地域の土器が残されているのですから驚きです。

古墳を離れてしまいましたが出現期の奈良県桜井市の纏向出現期の古墳を3回にわたり紹介しています。神門5号墳が造られていた頃、畿内の中心ではホケノ山(纏向出現期古墳1)、纏向石塚(纏向出現期古墳2)、勝山古墳他(纏向出現期古墳3)などが姿を現していました(クリックすれば飛べます)。比較してご覧ください。アクセスはJR内房線五井駅東口からアリオ市原・市原市役所経由国分寺台行きでバス停市原市役所で下車。信号を南西方向に300mほど歩き、次の信号を過ぎて200mほど、ローストハウス焙煎の店を左折し200mほどの左手にみえます(撮影日201622日)。

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神門5号墳 基本データ

所在地 千葉県市原市惣社

形状 前方後円型墳丘墓(出現期前方後円墳)

規模 墳長42.6m 後円部径30m32.5m 高さ5m、前方部幅13m 高さ不明

築造時期 3C

出土品 ガラス玉、剣、鉄鏃

史跡指定 県指定

特記事項 神門3号と4号墳が同様の形態の墳丘墓だったことがわかっているが
開発のため削平



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