2013年、2015年に続き三度目の訪問でようやく津堂城山古墳の概要がつかめた気がします。二度の訪問はいずれも五月。まだ十分に古墳のことがわかっていなかったこともあり内濠の菖蒲の美しさばかりに気をとられていた気がします。

 古市古墳群には墳長425mの応神天皇陵(誉田御廟山古墳)はじめ200m以上の前方後円墳が7基あります。津堂城山古墳は6番目の規模ですが以下のような理由で専門家の評価も高い古墳です。今回、『津堂城山古墳』(藤井寺の遺跡ガイドブック、藤井寺市教育委員会、2002)を読んであらためて確認したところです。

考古学的には古市古墳群のなかで4C後半と最初に築かれたこともさることながら7基のうち唯一一般の我々が墳丘を歩くことができるという点で貴重です。後円部は陵墓参考地に治定されていますし、墳丘は津堂城山という名称からもわかるとおり中世(室町時代)に城として利用されたために素人目にもわかるほどやせ細っています。それでも幅50mもありそうな内濠から見上げる墳丘の姿はなかなかのものです。これまでの調査で内濠に続く幅80mの堤があり、その外側に狭い外濠が周り、さらに幅50mほどの堤が囲んでいることがわかったそうです(動画撮影位置をご覧ください)。墳丘は208mですが濠、堤をいれると東西375m、南北436mにも達します。津堂城山古墳が築かれるまで、こうした設計のものはなかったそうです。他方これ以降の大王墓と考えられている大型の前方後円墳は二重の周濠と堤がよく見られるところから津堂城山は画期的とされています。なるほどと思います。繰り返しになりますが陵墓指定の他の大型の前方後円墳は雑木林の生い茂る森にしかみえず、その価値を体感することは不可能ですが津堂城山は違います。

内濠までが国の指定史跡の範囲で、その外側は既に宅地化されており往時を偲ぶことはできません。しかし動画撮影位置を描くために地図をぼんやりながめていると道路が古墳の外濠に沿って造られていることに気が付きました。もう一つ津堂城山古墳が他の古市古墳群の大型墳と異なるのは埋葬施設が明らかになっている点です。明治39年の神社合祀の勅令でこの地にあった八幡社も廃止され、その経緯を石碑に残すことになったそうです。その石材は以前から地元の人々が知っていた城山頂上の巨石を使うこととし、掘り返したところ、その大きな板石はたて穴式石槨の天井石だったがわかったそうです(動画3)。出土した精巧な作りの長持形石棺及び周辺からは勾玉・鏡・刀剣など多くの副葬品は宮内庁が保管し石棺は埋め戻されました。この長持型石棺はつい最近(20175月)発掘当時の写真を参考にしたレプリカが完成しガイダンス施設に展示してあるそうです。

内濠に一辺17mの島状遺構と呼ばれる葺石でおおわれた区画があり最古といわれる水鳥型埴輪3羽が並んでいたことでも知られています。なにか藤井寺市の宣伝のような説明になってしまいましたが他の大型墳墓が立ち入れないなか非常に貴重な古墳です。百舌鳥古墳群の仁徳天皇陵(大仙古墳)(クリックすれば飛べます)を見て想像をめぐらすためにも是非立ち寄られたらいかがでしょう。アクセスは近鉄南大阪線藤井寺駅より近鉄バス八尾線の小山で下車。すぐに見えます(撮影20161213日)。なおガイダンス施設は月、火曜が休みです。今回も入れませんでした。これまでアップした古市古墳群の古墳動画は下記のとおりです。古墳名をクリックすれば飛べます。
 墓山古墳・野中古墳他(古市古墳群5) はざみ山古墳・野中宮山古墳(古市古墳群4)
白鳥陵・清寧陵(古市古墳群3) 大鳥塚古墳(古市古墳群2) 古室山古墳(古市古墳群1)


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津堂城山古墳(古市古墳群)基本データ

所在地 大阪府藤井寺市津堂

形状 前方後円墳 二段築成(三段と書く資料もある)

規模 墳長208m、後円部径128m 高さ16.9m、前方幅117m 高さ12.7m、二重の濠及び二重の堤

築造時期 4C

出土品 銅鏡他の銅製品、勾玉、管玉等の玉製品、釧等石製品、三角板皮綴短甲、刀、剣、

鉄鏃等 多数、円筒埴輪、家 衝立 衣笠 水鳥 馬形 壺形などの形象埴輪

史跡指定 前方部及び内濠 国指定

特記事項 埋葬施設 石槨 長さ6.1m 幅2.1m、長持型石棺 長さ348cm 幅 168cm

高さ188cm



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