東国で墳長210mと最大規模を誇る前方後円墳

   いつアップしようか迷っているうちに一年半も過ぎてしまいました。このブログは比較という点にこだわっているので同規模の墳長を持つ畿内の古墳をいくつかを紹介してからと思っていたのです。それにしても本人が言うのもおかしいですが関東最大の前方後円墳墳長210mの太田天神山古墳は、天気にも恵まれ実に美しく撮れました。現地に朝早く着くよう、始発近くの電車に乗った記憶があります。その墳丘は、前年夏にみたのとは全く違っていました。動画4の最後に夏の墳丘(静止画像)を加えています。本動画中のキャプションで東側と西側が逆になっていました。東側西側 西側東側です。失礼しました。

 古墳関係の啓蒙書、専門書でも必ず触れられているのが太田天神山古墳です。畿内、河内の政権が百舌鳥・古市古墳群の巨大古墳を築いていた頃、この地でも210mという突出した規模の古墳が築かれたのです。上野では既に紹介した前橋天神山前橋八幡山古墳
(クリックすれば飛べます)のように前期にも相当規模の前方後円墳や後方墳が造られますが、太田天神山古墳との関連でいえば宝泉茶臼山、浅間山古墳(いずれも未アップ)とそれまでにない170m規模の前方後円墳が先行して造られています。太田天神山古墳は両古墳をしのぐのですから首長としての力は傑出していたのでしょう。それを示しているのが動画2でも紹介した全体を覆う葺石です。右島和夫、千賀久「古墳時代」(河出書房新社、2011)では、「付近一帯には石材が乏しい。巨大古墳を葺石で覆うためには、古墳の力南に六キロの利根川、あるいは北に約六キロの渡良瀬川から運び込む必要がある。このような条件下では、葺石自体を断念するが一般的である」としています。それでも人々は懸命に古墳築造に取り組んだのです。私は見ることができませんでしたが、くびれ辺りに後円部の埋葬施設の長持型石棺の一部が露出し、それは畿内の大王墓クラスに匹敵するものだったとそうです。残念ながら既に盗掘されており、めぼしい出土品はありません。
  後円部は三段、前方部は二段築成、後円部から前方部に至あるいてみましたがあまりに幅が広く、左右が視野に入らないほどでした。京都府城陽市の久津川車塚古墳(いずれアップします)でも同じ印象でした(いずれアップします)。墳丘西側は崩れています。墳長210mですから、墳丘全体を見渡すことはなかなか難しいのですが、巨大な周濠がまわっており、それが可能となりました。同規模の中期古墳には奈良県馬見古墳群の巣山古墳(墳長220m)(クリックすれば飛べます)。宝来山古墳(墳長227m)(クリックすれば飛べます)があります。是非比較してご覧ください。

アクセスは東武伊勢崎線太田駅北側にある東国歴史街道を西方向に道なりに600mほどあるくと太田天神山古墳です。駅から徒歩20分(撮影日2015219日)。

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太田天神山古墳基本データ

所在地 群馬県太田市内ケ島町

形状 前方後円墳

規模 墳長210m 後円部径120m 高さ16.8m、前方部幅126m 高さ 12m

後円部 三段築成、後円部二段築成 葺石あり

築造時期 5C

出土品 円筒埴輪、水鳥埴輪

史跡指定 国指定

特記事項 本文中で触れたように関東で最大の前方後円墳

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