前方部の発達が特徴の瓦塚古墳ですが・・・
 さきたま古墳群は行田駅方面のバスの通る県道77号線を境に稲荷山古墳、二子山古墳のある北群(仮称)と鉄砲山、奥の山古墳等のある南群(仮称)にわかれます。今回、6C前半に造られた後期古墳として紹介する瓦塚古墳も南群にあります。丁度、国宝金錯銘鉄剣が展示されている博物館の東側に位置しています。

 動画では冬と夏の異なる表情の墳丘を紹介しています。墳長73mとやや小ぶりですが、後円部径が36.5m、前方部幅が47m、後円部高さが5.1mに対し前方部が4.9mとほぼ同じ、前方部の発達がよくみられる典型的な後期古墳です。墳丘は登れないので前方部の広がりが観察できないのがなんとも消化不良です。これまでアップした古墳で墳長がほぼ同じものとして2基あげておきますので、比較して是非ご覧ください。墳長76mの岐阜県大野町の登越古墳(野古墳群)(クリックすれば飛べます)、69mの千葉県我孫子市の水神山古墳(クリックすれば飛べます)です。こちらはともに登れますが、残念ながら中期古墳ということもあり前方部の発達はみられません。しかし墳長70m程度の古墳の規模をイメージするには適当だと思われます。

ガイドブックさきたまは、さきたま古墳群には多くの謎があるとして5点をあげています。①それまで古墳が造られていなかった場所に、突如として現れたこと、②東西約500m、南北約800mのせまい範囲の中に大型の古墳が濠をくっつけるような近さで、次々規則的に造られたこと、③前方後円墳は全て長方形または台形の二重の濠で囲うのを基本としていること、④西側に造り出しを持つ前方後円墳が多いこと、⑤前方後円墳の方向がおおむね同じであることをあげています。

略図にあるように、たしかに後円部が全て北東方向を向いているのが印象的です。同じように短期間に造られた群馬の大室古墳群とはだいぶ様相が異なります。長方形または台形の二重の周濠がめぐっている点も、この古墳群がビジュアル的に統一された印象を受ける理由かもしれません。おそらく同じ造墓集団の手になるものだったのでしょう。これまでに超大型の円墳丸墓山(以下同様にクリックすれば飛べます)にはじまり、二子山将軍山稲荷山とアップしています。まだ、いくつかの古墳が残っていますが、それぞれの動画からさきたま古墳群の全体像を捉えることができるのではないかと思っています。

アクセスは公共交通機関の場合いくつかあります。さきたま古墳公園のHPに詳しいルートが紹介されています。行田駅から市内循環バスが一番便利ですが本数が少なく、二度目は本数が多いJR吹上駅から朝日バスで佐間経由 行田折返し場・総合教育センター・行田工業団地行に乗り産業道路で下車。徒歩15分のルートを使いました(撮影2015年7月14日、2016年3月1日)
PNG  kawarazuka(sakitama) 
PNG sakitamakofungunzentaizu




瓦塚古墳(さきたま古墳群)基本データ

所在地 埼玉県行田市

形状 前方後円墳

規模 墳長73m、後円部径36.5m 高さ5.1m、前方部幅47m4.9m

出土品 円筒埴輪、家形、水鳥など形象埴輪、琴を弾く男、首飾りをつけた女など人物埴輪

史跡指定 さきたま古墳群 国指定

特記事項 さきたま古墳群の前方後円墳中8基のうち5番目の墳長



にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村