アルプスの山並みに囲まれた前方後方墳
 今回の前期古墳は箸墓古墳からさほど時を置かず3C末に造られたと考えられる長野県松本市の墳長66mの弘法山古墳です。ただし前方後円墳ではなく前方後方墳です。その意味するところはあとで触れたいと思っています。

 以前から訪ねたいと思っていた訪問がようやく実現したのは2016年3月末のことでした。雪が舞い散る真冬や全山が桜色に染まる春は避けたい。だからといって被葬者も見たであろう墳頂からのアルプスの山並みは是非映像に収めたい。それには冬晴れの日を期待するしかない。そうした勝手な希望はラッキーなことに春間近の日、叶えられました。前夜に松本駅前のビジネスホテルに泊まり、朝一番で墳頂に立つことができたのです。動画でご覧のように私よりも早く散歩やジョギングをする人々がいて驚かされました。それもそのはず、弘法山古墳は市内有数のビューポイントなのです。

 道路から約60mあがった丘陵の突端に造られた墳丘は前方後方墳は遮るものがないために実際より大きく見えます。他方、墳丘のある丘陵の斜度が急で、後方に下がることができないために全体像を捉え切れていません。もっとも整備された墳丘は後方部の四隅が角張っていることはよくわかりますし、後方部と比較的細い前方部のコントラストも見事です。

聞けばこの前方後方墳の重要性が知られるようになったのは比較的最近のことのようです。以前から古墳があることは知られてはいたものの山間にあることもあり開発の犠牲になることはないと考えられ放置されてきたのです。事態が動いたのは1974年に古墳一帯を学校用地として松商学園が買収したことでした。造成のために発掘調査を行ったところ弘法山は松本平にはないとされてきた前方後方墳であることが明らかになったのです。しかも墳頂の埋葬施設から多数の副葬品が出土しています(この辺りの記述は松本市文化財HP、松本のたから、松本市教育委員会による)。

四獣文鏡1面、銅鏃1、鉄剣、勾玉、ガラス小玉、鉄斧、鉄鏃などが発掘されています。さらに興味深いことに東海地方に多いS字状口縁台付甕(2C前半から5C、6C前にかけて分布する台付甕、口縁部の断面がS字になっている)もともに発見されたことでした。このことから濃尾平野の首長とのつながりが指摘されています。古代史に詳しい方には解説は必要ないと思いますが、魏志倭人伝に登場する邪馬台国が戦った狗奴国(くなこく)として想定される有力な候補地が濃尾平野です。そして弘法山古墳と同様の前方後方墳が同じ時期に多数造られている地域なのです。弘法山古墳の被葬者はそうした濃尾平野の有力首長と関連の深い地域豪族だったのでしょうか。これまでアップした濃尾平野の古墳で是非見て頂きたいのは東之宮古墳(クリックすれば飛べます)、墳長72mと弘法山古墳よりは一回り大きいものの築造時期は3C後半とやや早い時期と考えられています。

アクセスはJR松本駅前の松本バスターミナル(交差点を渡ったビルの一階)からアルピコ交通並流団地線で15分ほど。弘法山入口下車。バス停のところに標識が出ているので迷うことはないと思います。徒歩10分(撮影、2016年3月31日)。


PNG  koubouyamakofun zu

弘法山基本データ

所在地 長野県松本市

形状 前方後方墳、葺石あり、段築不明

規模 墳長66m、後方部辺47m×41m 高さ6m、前方部幅22m 高さ2m

築造時期 3C

出土品 四獣文鏡1面、銅鏃、鉄剣、勾玉、ガラス小玉、鉄斧、鉄鏃、S字状口縁台付甕

史跡指定 国指定

特記事項 本文で触れたように被葬者は濃尾平野の首長との関連が指摘されている



にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村