幾ちゃんの独り言 大阪編(1)(2016818日)

 お盆休みも過ぎ皆様はいかがお過ごしでしょうか。

今回はこれまでアップしてきた168基から大阪府の古墳を前期、中期、後期(終末期)からいくつか選択して紹介したいと思います。もちろん訪問自身が恣意的ですし、動画の編集が終わったものしかアップしていませんので学問的な意味はありません。そうした前提付きでご覧ください。ただ指標になると思われる各期の古墳(これも異論は当然あると思います)と比べながら、同じ頃、畿内の内、大阪府地域ではこのような古墳が造られたかもしれないと考えることも興味深いのではないかと思います。


前期 箸墓古墳(奈良)3C央 畿内の定型化された前方後円墳としてシンボル的な意味。被葬者が卑弥呼との見方も。

中期 履中天皇陵(上石津ミサンザイ)(大阪)5C後 前方部の発達が著しい前方後円墳 

後期 市尾宮塚古墳(奈良)6C後 大型前方後円墳が減少した段階での横穴石室を持つ小規模の前方後円墳 

終末期 岩屋山古墳(奈良)7C央 切石積み石室の美しい横穴石室 方墳?


大阪府の前期古墳 

 古墳に関心を持ち始め関連図書を読み進んでいくうちに関心を持った論点の一つは、同時多発的(一斉にというわけではないでしょうが)に前方後円墳が築造されるようになったという指摘でした。ヤマト王権の権力が強まるにつれ前方後円墳は徐々に全国に広まっていったという見方とはずいぶんと違います。ならば前期に位置づけられる前方後円墳も、実際に現在でも墳丘が残され確認できるものがあるはずで、それをこの目で確かめたい。動画に収めたい。そうしたことから冒頭に書いたように気ままに訪問を重ねてきました。今回、アップした古墳を調べてみると中期(4C末から5C後半)に位置づけられる巨大古墳で有名な百舌鳥・古市古墳群よりはるか前に淀川を挟んだ東と西に墳長100m級の前方後円墳がいくつも築かれていることが改めてわかりました。研究者、古墳マニアには笑われてしまいそうですが百聞は一見に如かずとはよく言ったもので、それを身をもって実践している感じがしています。

 大きいものは100mを超える墳丘規模を有しています。淀川の西側、池田市には62m池田茶臼山古墳(以下いずれもクリックすれば飛べます)、豊中市には80m40m大石塚、小石塚古墳、淀川の東側の枚方市には108m弱の牧野車塚120m禁野車塚、はるか南に下った岸和田市には135m貝吹山が築かれています。繰り返しになりますが墳丘が残り動画撮影に耐えられるものという条件を満たしたもののみですので実際にはずっと多くの前方後円墳がこの時期、この地域に築かれたことになります。実際、石野信博編 全国古墳編年集成(雄山閣出版、1995)を見ると消滅しているものもある一方、まだ岸和田市の摩湯山古墳など有力な古墳で訪ねていないところもあります((2)に続く)。