国の特別史跡山上碑の隣の石室
  上野三碑(こうづけさんぴ)と呼ばれる現在の群馬県域に、日本に18例しかない古代の石碑が三つあります。造られた順は山上碑(やまのうえ)(681年)、多胡碑(711年頃)、金井沢碑(724年)です。なぜ三つもあるかは別にして、最も古い山上碑は、隣にある山上古墳の被葬者について書かれている墓誌という点が重要です。これまで紹介してきた古墳の被葬者の多くは特定できていませんが、山上碑のおかげで事実上被葬者を知ることができるのです。碑には、近在の放光寺の僧侶・長利(ちょうり)が母の黒売刀自(くろめとじ)のために墓を建てたことなどが書かれているそうです。ただ、石室の形態などからすれば古墳は石碑の建てられた681年より数十年前に造られたとようで(事実上と書いたのはそうした理由です)、実際には山上古墳の被葬者は黒売刀自の父であり、その後、黒売刀自が追葬されたものと専門家はみています(高崎市HP、上野三碑とは)。
 上信電鉄の山名駅から西に1㎞ほどアップダウンのきつい山間の道を歩きます。国の特別史跡なので山上碑までの標識は整備されて迷うことはありませんでしたが、最後は動画1の冒頭にあるような急な階段が続きます。頂上まであがると左に建屋に覆われた山上碑が、その隣に小さな円墳が見えます。石室は精緻な凝灰岩による切石積みです。時期は下りますが同じ群馬の総社古墳群の宝塔山古墳(クリックすれば飛べます)、蛇穴山古墳(クリックすれば飛べます)と共通するものがあります。奈良明日香村の岩屋山古墳(クリックすれば飛べます)の石室とも是非比較してご覧ください。ただ、山間にある古墳の石室ということでしょうか動画では削除しましたが石室の天井にはカマウドが密生していました。苦手な方はご注意ください。もう一つ驚いたのは奥壁前には大きな馬頭観音像が鎮座していたことでした。聞けば鎌倉時代のものだそうですが怒りの表情のように見える形相がぼんやりと浮かびあがった時には思わず後ずさりしました(撮影2015年12月17日)。