高松港まで直線距離で3㎞ほどの標高200mの丘陵に広がる岩清尾山古墳群。峰山公園から15分ほど歩いて最初に訪れたのが今回紹介する双方中円墳という非常に珍しい墳丘をもった古墳でした。前方後円墳の後円部にあたるところの左右に前方部がついています。墳丘は201642日した石舟塚古墳(クリックすると直接飛べます)同様、全面が30㎝四方の石を積んだ古墳です。

岩清尾山古墳群を巡ることのできる道路からいったん雑木林を下り目の前にその一部が現れた時は驚きの一言でした。実に殺風景というべきでしょうか。荒涼とした景色なのです。足元から積石が崩れていく怖さを感じながら墳丘の上にようやく辿りついたところに広がっていたのが動画1の光景です。これまでも盗掘された古墳を見ることは珍しくはありませんでしたが、それにしても凄まじい抉られ方です。聞けば明治時代に鉱山開発を装った大規模な盗掘集団によって行われたとのこと。その残石が円墳上に放置されたままになっていて思わず陪塚と勘違いするところでした。墳長は96m、古墳群で最大の規模です。盗掘にあったにもかかわらず複数の埋葬施設から銅鏡、鉄鏃、銅剣、石釧など豊富に出土しているようです。

 積石塚は今となっては部分的に崩れ始めているとこともありますが消滅していない古墳の墳丘の保存状況は良好です。石清尾山古墳群の大半が4Cに造られたことを考えれば、当時の石組の技術の高さに感心せざるを得ません。積石塚がなぜこの地に造られたのかは誰しも疑問に思うところですが、近つ飛鳥博物館館長の白石太一郎さんは、前方部は地山を削り出して成形し、後円部のみ積石を用いている徳島市の八人塚古墳を例に、「その成因は土よりも石材のほうが利用しやすい地理的環境によったものと考えられています」と述べています(古墳の知識、東京美術、1985年)。

 加えて興味深いことはこの地域で積石塚どころか通常の墳丘をもった古墳も4Cいっぱいで造られなくなってしまっていることです。ずっと飛んで7Cになりまた増墓活動が盛んになりますが規模の大きくない円墳にとどまっています。その間、この地域は他の地域の首長が支配していたのでしょうか。まだ紹介していませんが前期と中期の間に、高松市から南東に15㎞ほどの寒川の地に四国最大の前方後円墳、富田茶臼山古墳が造られたことと無関係ではないような気がします。墳長は139mもある堂々とした古墳です。話が少々脱線しますが、こうしたことに思いを巡らすことができるのも考古学者の地道な研究に基づく古墳の編年作業が行われてきたからです。石野博信編、全国古墳編年集成、雄山閣出版、1995年は実に便利です。

現地へは高松駅琴電バスループバス市民病院(行きは西回りで30分)下車、徒歩約45分で標高約230mの峰山公園まで登り管理事務所で古墳群の地図をもらうのがよいでしょう。点在する古墳を歩くのに約2-3時間かかりますが、尾根からは北方向に瀬戸内海がよく見えます(
撮影2016年3月24日)。

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猫塚古墳(石清尾山古墳群)基本データ



所在地 香川県高松市峰山

形状 双方中円墳

規模 墳長96m 高さ5m

築造時期 4C

史跡指定 国指定(石清尾山古墳群)

出土品 銅鏡、鉄鏃、銅剣、石釧

特記事項 双方中円墳という珍しい墳丘は奈良県桜井市の櫛山古墳など数少ない。円墳部分には動画のキャプションにあるように巨大な盗掘跡がある。

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