自然に任されたままでよいのか疑問の前方後円墳 
 「兵どもの夢の跡」式の草木に覆われた前方後円墳は、それこそ万とありますが多くは考古学の専門家にしかわからないところに築造されていて、よほどのことがない限り一般の人の目に触れることはありません」と広瀬和雄さん(国立歴史民俗博物館名誉教授)は前方後円墳の世界(岩波新書、2010)で記していますが、そこまでいかずとも今回の内裏塚古墳も自然に任されたままです。動画2と3でその状況はよくわかります。こうした保存方法がよいのかどうか議論する必要があるでしょう。もっとも草刈りが追い付かない、現状がベストではないということはわかっているという声も聞こえてきそうです。二度訪れ、雑草が少ない時期も選んだので誤った観察ではないと思います。説明板がきちんと設置されているのはよいとしても墳長144mという内裏塚古墳群の盟主墳にしては残念な扱いです。

 墳長100m超の前方後円墳は全国で302基しか確認されていない上に確認された竪穴石室2基からは人骨、鉄製武器、農工具、銅鏡が出土しているという重要な古墳です。しかも堺市百舌鳥古墳群の履中天皇陵(陵山古墳)と墳形が酷似し5分の2の大きさにあたると説明板は記していますし、周濠を含めると185mにもなる巨墳です。関東ではまだ紹介していない群馬県太田市の天神山古墳、茨城の船塚山古墳(クリックすれば飛べます)につぐ大きさです。これら二基は墳丘がきれいにみえるので、どうしても比較してしまいます。

 築かれた場所という点でも重要です。内裏塚古墳から7kmの富津岬は対岸の三浦半島に迫っています。「東京湾のなかで最も距離が接近しており,『記紀』のヤマトタケルの東方遠征の経路にもあたり,古くから交通の要衝として重要な位置を占めていたと考えられる」(文化財オンライン)のです。二重三重の意味で重要な古墳であるにもかかわらず繰り返しになるが残念としかいいようがない現状です。埋葬施設は後円部頂に竪穴式石室が二つあり人骨二体とともに武具等の副葬品が出土しています。基本データをご覧ください。
 アクセスは内房線青堀駅から徒歩15分。駅前に走る16号線を西南方向に歩き大堀亀下の信号を左折、内房線の線路をまたぎ直進。信号を越えると左手に登り口がみえます。踏切をわたったあたりからの墳丘は動画1でみれます(2015年12月1日)。




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内裏塚古墳基本データ

所在地 千葉県富津市二間塚字東内裏塚

形状 前方後円墳

規模 墳長144m、後円部径84m 高さ11.5m、前方部幅88m 高さ13m

築造時期 5C

出土品 後円部頂に二つの石室あり。武器類、鉄直刀、鉄角棒、鉄鎌、長刀1等。他に青銅鏡、 朝鮮半島製の金銅製胡籙金具(ころくかなぐ、矢を入れて携行する道具)

史跡指定 国指定

特記事項 古墳近くの小糸川流域を支配した須恵国造が埋葬されているとの言い伝えがある

 




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