今回は終末期古墳に位置づけられる大分県大分市の古宮古墳を紹介します。ヤマト王権が畿内に権力を確立して以降、九州はどのような権力が存在したのだろうか。漠とした疑問を持ちながら九州の古墳を訪ね歩くのも実に興味深いです。装飾古墳の数々や岩戸山古墳が思い浮かびますが、今回は畿内との関係が極めて密接だった人物が葬られているのではないかと考えられている古宮古墳です。その理由は巨大な凝灰岩を刳り抜いた玄室がある横穴石室を有する墳墓だからということになります。現地説明版などによれば、こうした構造の石室は当時の畿内の豪族の間で流行したもので九州ではほかに例がないのだそうです。そうしたところから「被葬者は大和政権と深くかかわり、壬申の乱に活躍したことが「日本書記」に記される大分君恵尺(おおきたのきみえさか)・稚臣(わかみ)という二人の豪族のうち、特に恵尺が有力な候補者として考えられています」ということになります。

動画3の最後に付け加えた石室前からの眺めからもこの古墳の被葬者が高い地位にあったことは容易に想像がつきます。いわゆる古墳の一等地だからです。石室は入室不可ですが、中は比較的よく観察可能です。刳り抜かれた玄室は勿論ですが、羨道天井の巨大な一枚の板石にはいつものことですが感心します。残念なのは、そのような高貴なお方が眠っていた石室前に立つ無粋としか言いようのない鉄格子です。何とかしてほしいと思うのは私だけではないと思います。かなり早い時期に整備された復原古墳の石室には鉄の扉や入口をコンクリートで固めたりしているものが多く見受けられます。

アクセスですが大分駅から今回はこの踏査のルールを破ってタクシーで往復してしまいました。日没前にようやく間に合いましたが本来ならば大分交通バスの青葉台行に乗り椎迫1組で下車し徒歩の予定でした(撮影日2015年12月24日)。
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古宮古墳基本データ

所在地 大分県大分市大字三芳

形状 方墳

規模 南北12.5m、東西12m

築造時期 7C

出土品 不明

史跡指定 国指定

特記事項 石室全長2m、幅0.8m、高さ0.85m、羨道長 2.5m

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