前方部の発達が見られない珍しい中期古墳
 三陵墓古墳。古墳マニアの間でもそれほど知られていない古墳の名前の由来は、東西の古墳に南古墳(径16mの円墳、未発掘)を加えた三基が一つの区域に古墳時代中期に造られたからのようです(現在、三陵墓古墳史跡公園として整備)。関西に土地勘のない私は三陵墓古墳のある奈良県都祁(つげ)といっても見当がつきませんでした。改めて地図を広げながら調べてみると都祁は、1331年に討幕が発覚した後醍醐天皇が三種の神器とともに籠城し元弘の乱の契機となった笠置山地の山裾、大和高原にあることがわかりました。そのはるか以前から笠置山は巨石信仰の場として知られていました。都祁の人々も訪れたに違いありません。

東古墳の雄姿は秋雨に遭って幽玄な趣をたたえていました。動画1からもわかるように、前方部幅は50mと広くバチの端のように見えます。5C後半の中期古墳と位置付けられる東古墳ですが、72mと後円部径の巨大さに比べ前方部の長さは39mと短く、しかも後円部の高さ10mに対して、前方部は動画4からもおわかりのようにはるかに低く、中期でも古い時期に属すると考えられているようです。残念ながら後円部の半分ほどが無秩序に削平されており、復原も墳頂全体をカバーしているわけではありません。現地の説明版にどの部分が削平されたか図示されています。アクセスは榛原から奈良バスで針インター行、南之庄東口下車徒歩5分。バスの進行方向と反対に少し戻ると看板が出ています。1時間に一本程度です(撮影2015年9月7日)。

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