冬枯れの古墳は人を寄せ付けず
 冬枯れという言葉にぴったりの古墳でした。405号線から先の見通しの悪い73号線に曲がり、その異様ともいえるその姿が目に飛び込んできたとき最初に浮かんだ言葉がそれでした。周濠がすっきりしているだけに、湖に浮かんだ船のような感じもします。おそらく季節よって姿を大きく変える古墳ではないでしょうか。
   専門家の解説などを読みますと「動画撮影の位置」に簡略して描きましたようにくびれ部分が東西で異なり非対称になっています(yahooの空撮画像でも確認できます)。これは中期古墳に多くみられる特徴だそうで、千歳車塚古墳のように後期古墳に位置づけられる古墳としては珍しいそうです。後期の代表的古墳の一つ継体天皇の真陵といわれる今城塚古墳や、その影響下にあったとされる地方豪族の墳丘とは違うというわけです。したがってヤマト王権とは距離を置いた地方豪族がその被葬者ではなかったかともいわれています。なにか、そうした説明とぴったりの古墳の姿でした。
  ただ、築造時期は現地の解説版では5C代、中期とされています。その後、出土した円筒埴輪の研究によって、6C前半と考えられるようになったようです。完存しているように思える墳丘ですが、墳丘の裾部分は削平されていることが明らかになっています。


  アクセスはJR嵯峨野線亀岡駅からふるさとバスで川東小下車、徒歩10分。バスは本数が少ないので確認してからおでかけください(撮影2015年2月11日)。

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所在地 京都府亀岡市千歳町千歳

形状 前方後円墳

規模 墳長82m、後円部径46m 高さ7.5m、前方部幅49m 高さ6.8m

三段築成

築造時期 6C前半

出土品 円筒埴輪

史跡指定 国指定

特記事項 被葬者は、武烈天皇の逝去後、継体天皇となった男大迹王(オホドノオウ)と並び皇位継承者だった倭彦王(ヤマトヒコオウキミ)とも伝えられる。



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