前期の前方後円墳のような墳丘


 今回は九州、大分県の川部高森古墳群の福勝寺古墳を紹介します。既に同古墳群については、前期の赤塚古墳、それに後期の横穴石室のある鶴見古墳をアップしています(古墳名をクリックすれば飛べます)。年代的にみて福勝寺古墳は、赤塚、鶴見の中間に位置し、古墳群の中では最大規模、墳長78mを誇る5C前半築造と考えられる前方後円墳です。この頃から次第にヤマト王権の勢力拡大が明白となり、畿内 それも河内(現在の堺市、藤井寺市、羽曳野市あたり)では応神天皇陵、仁徳天皇陵など巨大古墳が次々と造営されていくことになります。中国鏡五面を副葬していた前期初頭の赤塚古墳と同様に、古墳群最大規模の古墳の被葬者も、もちろん、ヤマト王権と密接な関係を築いていたに違いありません。もっとも発掘調査が国指定の史跡のために難しく副葬品など史料に乏しいのが残念です。

 なお、福勝寺古墳の説明とも関係がありますが、ヤマト王権、ヤマト政権、大和政権など研究者により政権の表記が異なります。このブログでは白石太一郎さんの「三世紀中葉に邪馬台国連合と狗奴連合の合体によって成立した広域の政治連合を「ヤマト政権」、その中枢を担った畿内に基盤をおく政治権力を「ヤマト王権」と呼ぶという解釈に従います。白石太一郎 日本歴史 私の最新講義 白石太一郎 古墳から見た倭国の形成と展開(同成舎、2013
 JR宇佐駅から大交北部バスで宇佐風土記の入り口で下車。パナソニックの工場を右に見ながら20分ほど歩くと大分県立歴史博物館の塔が見えてきます。博物館の周囲に風土記の丘が広がっています。ゆっくり歩くと二時間はかかります。バスの本数は少なく地方から訪れるもものにとっては不便です。昼過ぎに博多を発って往復しましたがかなり疲れました(2015年3月17日)。


PNG fukushouji zu


  

所在地 大分県宇佐市大字高森

形状 前方後円墳

規模 墳長80m 後円部54m 高さ7.5m 前方部幅22m 高さ3.5m

出土品 なし

史跡 国指定

特記事項 未調査




 

にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村