いったい古墳がいつ頃造られたかを決めるのはどのような要素なのか。古墳時代に興味をもちはじめた誰もがまず思い浮かべる事柄でしょう。私もそうでした。西暦何年に造られたか実年代を特定することは文字史料もないなかで難しい。そうしたなかでA,B,C,Dの古墳が、BよりはAが古い。四つのなかではDが最も古く造られたかを決める方法は確立しています。この順番を決める編年は考古学の場合、埋葬施設、土器、埴輪、鏡や刀剣類の副葬品等の形式等に加えて年輪年代法や炭素14年代法とよばれる化学的手法との合わせ技で決めているのだそうです。炭素14年代法は、保存されていた組織を分析して、炭素全体の内C14が占める割合を測定することで、その生物が死滅してからの期間を考えるといわけです。なるほどそういうことだったのかと思いました。

 
 ただ発掘調査は全面的に行われているわけではありませんし、A古墳とB古墳、さらにC古墳が同じレベルで調査が行われているわけではありません。もっとも畿内の大規模な前方後円墳が宮内庁の陵墓指定のために発掘は事実上不可能ですし、開発が進み同一の基準で調査を行うことは困難という事情があります。そうした点に加えて専門家は編年の難しさについて次のようなわかりやすい説明をされています。橿原考古学研究所の今尾文昭さんです。


 「古墳の編年というものは、副葬品や供献品として使われた土器、墳丘をめぐる埴輪、それから銅鏡の種類、あるいは前方後円墳の設計、墳丘規格、立地など、いろいろな要素を判断して「これが新しい、これは古い」と考えるわけです」「けれども、考古学資料は残されてきたのも偶然だし、発掘調査等で内容が明かされるのも偶然です。だから、みな同じ条件で一斉に比較検討することは難しいわけです」「発掘調査されても盗掘があってデータが揃わない。過去に発掘調査がなされてもその精度に較差がある場合、古文書の残り方とも似ていますが、同規模、同一地域の古墳でも情報に不揃いがあるのです。だから不揃いの部分は、相互に補い評価を加えて列につなぐわけですから、研究者によって古墳の築造順が逆転したりします」(今尾文昭、「西殿塚古墳が提起する問題」81-82頁。白石太一郎、今尾文昭他著、天皇陵古墳を考える、学生社、2012年)