敷石まで板石の巨石という度肝を抜く石室
鹿児島本線福間駅で新原奴山古墳群に行こうとバスを待っていたらなんと読んだらわからない古墳の説明板が目にとまりました。手光波切不動、てびかなみきりふどう。調べてみると名字を手光とする方、地名にもありました。なにやら大変貴重な横穴石室であることがわかり、いずれ訪ねようと実現したのが2020年2月でした。大型車がひっきりなしに行きかう県道97号線沿いの光陽台の民家横に径20mほどの円墳はありました。だいぶ削平され、調査の結果元は25mほどあったようです。
その石室ですがいやはや驚きました。敷石を含め全て平滑された巨石の板石で組まれた長さ10.8mもある石室です。動画冒頭でおわかりのように全体として羨道が6.9mと長く、複室構造とはいえ玄室(前室と後室)は3.9mしかありません。しかも仕切り石の先の不動様が祀られている後室は、前室よりも一回り小さい変わった形をしています。数多く紹介してきた九州の複室構造の石室ですが、このような様式のものははじめてみました。説明板を読むとその特徴は畿内の(後期から終末期)横口式石槨の影響を受けたものだそうです。羽曳野市の観音塚古墳(クリックすれば飛べます)は横口式石槨の代表例ですが、たしかに前室の奥壁部分に石棺の短辺が接続されていて、前室よりも後室相当の石棺が一回り小さくなっています。技術レベルでは素人にも観音塚のほうがはるかに上であることはわかりますが、石室のコンセプトは遠い九州のこの地まで及んでいたのですね。もう一つ驚かされたのは敷石にも巨大な板石が用いられていることでした。これもはじめてお目にかかりました。2012年に発掘調査が行われ羨道の手前に続く墓道があることが確認され、金銅製馬具や須恵器が発見されたそうです(撮影2020年2月19日)。
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