聞きしに勝る狭小の石室開口部に驚き
以下は最初にアップしたものです。今回はリニューアル統合版と差し替えはしないこととしました。
このブログでも紹介している墳長94mの前方後方墳、山代二子塚古墳(クリックすれば飛べます)から100mほど東側に今回の一辺45mの山代方墳があります。二つの点で忘れられない古墳になりそうです。一つはこれぞ方墳といえるほど角張った4隅が墳頂から確認でき、しかも7m下を見下ろすと幅6mの周濠、さらには周堤もみえます。築造当時にはもちろんなかったわけですが風にそよぐ墳頂の木々がこれまた美しい(動画1)。二つは様々な方々のブログで理解はしていたものの、石室開口部の極端な狭さです。まだ紹介していない群馬県太田市にも同じように開口部が狭小で苦労した古墳がありますが、今回は格別です。聞きしに勝るなとも思いましたが後には引けません(苦笑)。何とかなるさとチャレンジ。あとで振り返ると関門が三つもありました。狭い開口部が第1の関門。ついで巨大な板石の下の奥に見える四角い穴の存在です。あとで教えてもらいましたが羨道の閉塞石に開けられた盗掘坑が第2の関門。脱線しますがこの盗掘坑這いつくばって入ると背中が当たります。自分は新聞紙(レジャーシートよりも滑るので便利)を敷き頭を上に向けて入りました(それでも閉所恐怖症の方にはお勧めできません)。ようやく羨道に到達すると、さらに通らなければならない玄門(第3の関門)が待っています。石室全体の天井が1.3mから2mほどと低いので圧迫感があり、早く退出したいという気分に駆り立てられました。動画の動きがいつもよりも早くなっているのはそのせいです。
肝心の石室ですが加工技術の高さに改めて驚かされました。特に玄門の縁取りは美しく、全て一枚の板石で造られた玄室もその精緻さに感心しました。そして大型の枕付きの死床(被葬者用のベッド)も半壊状態ですが、築造当時の様子を思い起こすに十分です。ただ、盗掘がはるか昔に行われたために副葬品等の情報は全くないそうです。不思議に思ったのはこれまで紹介してきた九州や畿内の横穴石室とは違い羨道といっても非常に短く、まるで複室構造の前室のような点でした。簡単な平面図でお分かりのように石棺式石室の玄室の長辺に短い部屋が接続しており、それを羨道と呼んでいるようです。その羨道は閉塞石で閉じられていたわけですが盗掘犯がそこに坑を開けたというわけです。アクセスはわかりやすく松江駅から一畑バス八雲車庫行(1時間に1本)で山代二子塚古墳のある山代町下車。今回、八雲立つ風土記の丘の学芸員の方に不明な点などお教え頂きました。感謝(撮影2020年10月28日ー29日)。
山代方墳基本データ
所在地 島根県松江市山代町
形状 方墳
規模 一辺45m 高さ7m、2段築成、幅6mの周濠あり、葺石あり
埋葬施設 横穴式 家形石棺 玄室長さ 1.75m 幅2.15m 高さ約2m
玄門 0.55m羨道長さ 長さ約1.8m 幅1.3m 高さ約1.2m
築造時期 6C末
出土品 不明
史跡指定 県指定
特記事項 隣接する山代原古墳(永久宅古墳)の1代前の首長の墓ではないかとの
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