縦長の横穴石室が印象的
徒歩で現地に向かう場合には、左右の景色を観察するのが通例ですが、今回はJR福塩線、近田駅から現地まで案内してくださるという市の担当者の方の願ってもないお話。喜んでお言葉に甘えることにしました。ところが車中、古墳の話に夢中になったこともあって景色をほとんど覚えていないのです。まだ秋には遠く木々は緑に覆われて眺望がほとんど効かなかったからかもしれません。それはともかく、目指す墳長68mの前方後円墳の二子塚古墳は近田駅の北1㎞ほどのやや小高い丘陵に築かれていました。木々が生い茂ってはいましたが、前方後円墳ということがよくわかる墳丘の残り具合です。整備中ということでしたが、案内して頂いた後円部にある横穴石室の第一印象は、細くて長い、つまり縦長ということでした。花崗岩製玄室の長さは6.8mもあるにもかかわらず奥壁幅で2.1mしかありません。羨道は8.1m。これだけで14.9m。これに養生中で十分観察できなかった羨道前の墓道9.8mを加えると25mほどにもなります。既に紹介した奈良県葛城市の二塚古墳(クリックすれば飛べます)の後円部の石室は、全長は16.7m、玄室の長さは6.73mでしたが幅は2.98mありました。どうりで縦長な印象を受けたわけです。
福山市のHPには玄室側壁は「傾斜をつけて積み上げている」とありますが、動画にあるように目立ったもち送りではないようです。目に飛び込んできた組み合わせ式石棺が印象的ですが、盗掘にあっているとはいえ須恵器,土師器,鉄製武器,馬具などが出土したとのこと。中でも金銅製の太刀の柄頭は2頭の龍が玉をくわえる珍しいデザインだそうです。また石棺の石材ですが現地の古墳に一般的に採用される浪形石(なみがたいし)ではなく畿内の前方後円墳等に使われる竜山石であることから被葬者が畿内地域、ヤマト王権と関係があったのではないかとみられています。
肝心の築造時期ですが石室の構造や副葬品から6C末から7C初頭と考えられており近畿以西では最も遅く造られた前方後円墳のようです。葺石も埴輪もなかったことが確認されています。文化遺産オンラインは「備前・備中地域においては、古墳時代前・中期に巨大な前方後円墳が築造されたのに対し、備後地域ではこの古墳が突如として出現した」と記しています。つまり二子塚古墳は、7C前後のヤマト王権と吉備との政治状況を知ることができる点で、きわめて重要な古墳であるということになります。整備された古墳を再訪して、その重要性を再確認しなければと思っています。なお前方部にも長さ12.6mの石室があったようですが破壊が著しくその様子は動画2で確認できます(撮影2017年9月26日)。
二子塚古墳(広島県)基本情報
形状 前方後円墳
規模 墳長68m、後円部径41m 高さ6.5m、前方部幅27m 高さ4m
周溝あり、後円部と前方部に2ヶ所の埋葬施設
築造時期 7C初
出土品 後円部の横穴石室から須恵器,土師器,鉄製武器,馬具とりわけ大刀の柄頭である金銅製双龍環頭柄頭は貴重
史跡指定 国指定
特記事項 後円部横穴石室の石棺は竜山石製、前方部石室は大きく破壊されている
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