ポツリと残る帆立貝形前方後円墳
今回紹介する後期古墳のおくま山古墳は後に埼玉県の豪族比企氏(藤原秀郷の末裔といわれる)が支配した地域にあり、中期(前期ともいわれる)には墳長115mの野本将軍塚古墳が築かれています(いずれ紹介します)。おくま山は後期の6C前半の築造といわれ墳形は前方後円墳よりは格下の帆立貝形です。同じ地域には6C後半に帆立貝形とも円墳といわれる径90mもある冑山古墳が築かれています。同じ頃、埼玉県のさきたま地域には金錯銘鉄剣が発見されたことでよく知られ稲荷山古墳、二子山古墳等たさきたま古墳群を形成する古墳の数々が築かれました。さきたま古墳群に比べほとんど注目されていない一群の古墳に注目してみるのもよいかもしれません。もっともさきたま古墳群と違い、それぞれの古墳はかなり離れています。帆立貝形古墳からは武器武具などが出土することが多いそうですが(武蔵では野毛大塚古墳(クリックすれば飛べます)、今回のおくま山古墳からは埴輪のみのようです。多くは盗掘されたのでしょう。ただ、埴輪のなかには盾をもった盾持ち型埴輪4体がみつかっているそうで、帆立貝形古墳のおくま山古墳には武器武具を多用した人物が葬られていたのではないかと想像をたくましくしてみました。現状の墳形は崩れてはいますが帆立貝形であったことはわかります。願わくばこれ以上破壊されないようにと祈るばかりです。アクセスは東武東上線東松山駅から徒歩で野本将軍塚古墳に寄り、そのあとおくま山古墳を訪れました。国道254号と407号が交差する東側100mほどのところにあります。(撮影2018年1月11日)
おくま山古墳基本データ
所在地 埼玉県東松山市
形状 前方後円墳(帆立貝形)
規模 墳長62m、後円部径40m 高さ7m、前方部幅20m 高さ1.5m
築造時期 6C前
出土品 盾もち人埴輪4体、円筒埴輪片
史跡指定 県指定
特記事項 なし