古墳といえば埴輪はつきものですが実に奥が深いですね。古墳踏査をはじめる前、墳丘には教科書などでみかける人や馬、家形の形象埴輪が並んでいるのが一般的だと考えていましたが、必ずしもそうではないのですね。専門家や古墳ファンには笑われてしまいそうですが円筒形の埴輪が先行し、形象埴輪はだいぶ時がたってから登場することは歩いてみてわかったことでした。
円筒埴輪でも今回の動画1から3で紹介しているように、開いている孔の形が■や▽から中期以降○に変化しているようです。ということは円筒埴輪の孔の形を見ると古墳の築造時期の手掛かりが得られるということになります。大いに参考にさせて頂いたのは村井嵒雄さん他著古墳の知識Ⅱ(東京美術、1988)やネットで紹介されている円筒埴輪で有名な川西宏幸さんの編年です。
埴輪の状況は発掘調査の際に破片などが出土しわかるわけですが、築造当時埴輪がどう並べられていたかは復元された墳丘を目の前にしてはじめて実感できます。雑木林と化した墳丘や、前方後円墳、方墳、円墳など形はわかる程度の保存整備では埴輪や葺石の状況はよほど想像力を働かせなければ難しいと思います。その意味で今回、改めて紹介している復元古墳はいずれも実に見事ですし古墳理解に役立ちます。是非、本来の頁にもアクセスして頂ければと思います。
動画1では加計学園問題で一躍有名になった愛媛県今治市の妙見山古墳です。円筒埴輪は吉備で造られた特殊器台とよばれる壺などを置く筒状の器台が発達したものといわれています。定型化された最初の前方後円墳といわれる箸墓古墳からも出土しているそうです。
奈良県桜井市のメスリ山古墳は巨大な特殊器台型埴輪が多数並んでいたことで知られています。残念ながら墳丘に立ち並ぶ特殊器台にはこれまで遭ったことがなく、やむなく妙見山古墳の背の低い伊予形特殊器台と壺から想像して頂くことにしました。動画2では4C末に造られたといわれる兵庫県神戸市の五色塚古墳の埴輪に注目しています。4C末は時期区分でいうと前期と中期の境になりますが、立ち並ぶ埴輪の孔の形からは出土品が初期のものであることがわかります。左右に鰭(ひれ)がついた円筒埴輪が立ち並ぶ姿は被葬者を外界から守っていることを示しているのでしょうか。他方動画3で紹介している時代が下る中期の広島県東広島市の三ッ城古墳、京都府長岡京市の恵解山古墳にみる円筒埴輪の孔は○に変化しています。それに円筒埴輪にも鰭(ひれ)はついていません。単なる流行だったのでしょうか。
円筒埴輪の列に混じって朝顔の花を上からみた感じの広がりをもつやや大型の円筒埴輪が確認できます。朝顔形円筒埴輪というそうですが朝顔が日本に入ったのは奈良時代といわれていることを考えると朝顔の花を模したものではなさそうです。
妙見山古墳、五色塚古墳、三ッ城古墳、恵解山古墳(いずれもクリックすれば飛べます)(撮影日妙見山2016年3月26日、五色塚2015年7月8日、三ッ城2014年11月14日、恵解山2017年2月16日)。
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