住宅に囲まれた墓山古墳
古市古墳群の5回目。紹介する墓山古墳及び野中古墳と向墓山古墳の二基の陪塚はこれまで何度か訪れたもののタイミングが悪く墳丘が雑木林や雑草に覆われてよく見えませんでした。陪塚とは大型古墳に近接して位置する小型墳で、内容、規模などから大型墳との密接な関係(たとえば主従)が考えられるものです。今回はようやく宮内庁管理(墳丘のみ)の墓山古墳を含め多少はましな動画が撮れたように思えます。それにしても墳長が225mもある墓山古墳の南側の墳形に沿って現代の墓地が広がっている光景を眺めていると不思議な感覚に襲われます。古代と現代の共存でしょうか。後円部墳頂からは首長級の埋葬に用いられる長持形石棺が出土したという報告があるそうですから、巨大さの理由もわかります。雑木が部分的に伐採された今回の訪問ではおぼろげながら墳丘のスケールも分かりました。動画1である程度伝わったとすれば嬉しいのですが。
動画2で紹介している墓山古墳の陪塚と考えられている野中古墳は短甲11(1領だけでも貴重との専門家の指摘)、兜11刀剣169など多くの武器武具はじめ出土したことで有名です。重要文化財に指定されたこれらの出土品は発掘調査にあたった大阪大学が保管しています(レプリカが藤井寺市のシュラホールで見られます)。陪塚の中規模の方墳にそれだけの副葬品が葬られていたことからしても主墳の墓山古墳の被葬者のランクの高さがうかがえます。時期から考えれば朝鮮半島で南下する高句麗に対抗する百済支援にまわった倭の有力者の一人なのでしょうか。
動画3の墓山古墳の陪塚の一つと考えられている向墓山古墳はフェンスに囲まれた一辺68m、高さ10mもある大型の方墳です。残念ながら周囲の状況から俯瞰することができず全体像をつかむことができません。説明板によれば墳丘はよく残されているというのですが崩れた山のようにもみえます。隣接して羽曳野市のガイダンス施設があり古市古墳群出土の埴輪などが展示されています。この大きさをイメージして頂くためにほぼ同規模の一辺65mの滋賀県東近江市の天乞山古墳(クリックすれば飛べます)、一回り大きい一辺78mの千葉県成田市の龍角寺岩屋古墳(クリックすれば飛べます)を是非ご覧ください。向墓山古墳も築造当時はこのような姿だったのでしょうか。アクセスは近鉄南大阪線の古市駅から北に徒歩で15分。羽曳野市役所の西側裏にあります。なお墓山古墳と向墓山古墳は羽曳野市、野中古墳は藤井寺市にあります。なおこれまでアップした古市古墳群の各古墳は以下のとおりです。合わせてご覧ください。群中で墳丘に登れる数少ない古墳古室山、大鳥塚の両古墳(それぞれクリックすれば飛べます)。白鳥、清寧陵(一度に紹介しています。クリックすれば飛べます)。はざみ山・野中宮山(一度に紹介しています。クリックすれば飛べます)(撮影日2016年9月26日、2017年2月20日)。
墓山・野中古墳他 (古市古墳群)基本データ
所在地 墓山、向墓山古墳 大阪府羽曳野市、野中古墳 藤井寺市
形状 墓山 前方後円墳、向墓山 野中 方墳
規模 墓山 墳長225m、後円部径135m 高さ約21m、前方部幅153m 高さ約19m
三段築成、向墓山 一辺68m 高さ10m 二段築成、野中 一辺37m 高さ4m 二段築成
築造時期 墓山、向墓山古墳 5C前半、野中古墳 5C央
出土品 墓山 玉類、形象埴輪、向墓山 埴輪、野中 兜、刀剣類、鉄てい等
史跡指定 野中古墳 国指定
特記事項 なし
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